大学同期会欠席

 今日から1泊で予定されていた大学の同期会を急なレッスンでキャンセルすることに。夜は参加者それぞれによるコンサートだったので、すでに曲も用意していたのでちょっと残念。レッスンを変更していただいた方々もいたので申し訳ない。
 その代わり、またまたインスピレーションがやってきた。
 2001年に書いた「オスティナート」という曲が2まわりくらい大きくなって(サイズがではない)完成した姿が見えたのだ。こういう体験は実に不思議だ。少しもはっきりしたイメージではないのに、順を追って書いて行けば完成するような気がしてくる。今日は7割方書き上がった。明日にはなんとか姿になることだろう。
 
 そういえば、午後、風太郎の古くからの友人が遊びに来て話をした。最後に会ったのは4〜5年くらい前だったろうか。現在大学4年生。
 ところが話をしてみて驚いた。最後に会った時から何の成長もないように思えたのだ。彼は決して頭の悪い少年ではなかった。逆に、レッスンに通っている子どもたちがいつの間にか高校生・大学生になって、確実に成長していることがよく分かった。ぼーっとしているようにみえる風太郎でさえ、彼に比べればずっと大人だ。おそらく、大人ときちんと話をする機会がないのだろう。後で、カミさんから風太郎の友人が少々引きこもりぎみだったことなどを聞いた。それで納得した。人は歳をとるだけでは成長できない。人の中で揉まれたり、何かに集中して取り組んだり、たとえ一瞬でも高みを覗いたりするような経験が必要なのだ。夕食時に、家は近いし時々遊びに来るように伝えなさいと風太郎に話した。
 ピアノの先生など、世の中ではあまり重要な地位にはないと思うが、学校の担任が長くても数年の関わりであるのに対し、10年のつきあいなどごく当たり前のことだ。長く通ってくれていると、一緒にコンサートに行ったり、美術館に行ったり、宿題の面倒をみたり、ステージ出演のための特訓をしたり、いろいろな関わりがある。大人になってから通ってくださる皆さんでさえ、長い人は10年を超える。私も師との関わりは20年を超えた。師と出あっていなかったら別人のようであったことだろう(まだまだ至らないけれども)。
 今日は、あらためて人が成長することの意味を考えさせられる一日でもあった。

 今ごろ、同期会は宴たけなわであることだろう。