2月23日(月)

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 ちょっと外出しただけでも、植物に目が行って、立ち止まって眺めてしまったりすることがある。
 葉を落としたけやきの枝の広がりを見て自然の造形の美しさ・不思議さにあらためて気づいたり、花を育てている人たちの“作品”を見て「ああ、生きているんだなあ」と妙に感心したりする。空を見上げれば雲の形が物理的必然であること、星を眺めれば、それも物理的必然であることに気づき、自分の楽譜が本当に必然であったかどうか不安になったりする。
 ドビュッシーは、たった一つの16分音符のために一晩考え続けたと、彼を直接知るマルグリット・ロンが著書に書いている。ドビュッシーは、その16分音符の本当のあり方が分かるようになるまで自らを訓練していたのだろうと思う。実際、分からなければ、ひとつの音符だって書けるものではない。