11月14日(土)

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 今日は土肥先生の命日。
 11年前に土肥先生の訃報に触れた時、自分の人生も終わってしまったように思えたものだ。土肥先生から、まだまるで学んでいないではないかと悔いても悔いても足りなかった。今でもそうだ。真実に到達する道筋を知る人に出会ったのは土肥先生ひとりだけ。
 夜、FM番組で吉田秀和さんの解説でハイドンの作品を聴く。毎週、ハイドン観が少しずつ変わってくる。以前は退屈だったハイドンが実に気高い作曲家であったことに気づき始めたところ。
 番組が終わってもスイッチを切らずにそのままにしていたら次の番組が始まって、鈴木しづ子という名を告げた。聞き覚えのある名前。謎の多い情熱の女流俳人だったはず。ラジオドラマの形式をとって、多分にフィクションも盛り込んであるのだろうが、彼女の半生をリアルな印象で表現していた。

コスモスなどやさしく吹けど死ねないよ
夏みかん酸つぱしいまさら純潔など
好きなものは玻璃薔薇雨驛指春雷

この人に比肩するのは川柳の時実新子しか思いつかない。

詩の世界でも同じものを感じるが、男性の文学世界がどこか虚構めいているのに対して女性は皮膚感覚で直接表現する。女性詩人の詩を読んだ後に男性誌人の作品を読むと絵空事のように感じることがある。作曲の世界でも、歴史的には男性優位の状態が続いているように見えるものの、女性作曲家の作品に同じようなことを感じることがある。それが明日へのヒントかも知れない。