1月20日(水)

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 今日の午前中は楽譜書きの仕事に集中するはずだった。ところが朝食時に父が「ちょっと三越まで行ってくるぞ」と言うので事情が変わった。今まで、父は映画でも美術館でもひとりで出かけていたのだが、ドクターストップがかかっているのだ。病気という意味のドクターストップではない。91歳という高齢を配慮した助言である。とにかく、一人で行かせるわけにもいかず、急遽スケジュールを調整してクルマで家を出た。日本橋までおよそ20km。空いていれば1時間かからない行程。
 11時過ぎに三越本店駐車場到着。周囲には高級車が並んで壮観。ロールスも1台。お大尽は三越が好きなのだろう。
 父の目的は「竹久夢二展」。訪れているのは高齢者が圧倒的に多い。今回の夢二展が過去のそれと異なるのは、長く行方不明だった晩年の滞米・滞欧中の作品(主に素描)が再発見され、主たる展示物となっていること。日本初公開の油絵もあった。美術学校で学んでいないコンプレックスからか、彼はデッサンを描かなければと常々思っていたらしい。
 そもそも渡米したのも何かのコンプレックスか勘違いが動機のように思えた。それは次のような理由。
 夢二は日本で人気の高いイラストレーターとなっており、当然のことのように欧米でも受け入れられると思っていた(ように思われる)。ところが、海外では無名である夢二の才能に気づく人はおらず、展覧会を開いても思うように絵が売れなかった。アメリカが大恐慌に見舞われていたこともあって、夢二はアメリカに見切りをつけてヨーロッパに渡るが、状況は変わらなかった。
 夢二がアメリカで認められるためには、そこで長期にわたって活動する必要があったことだろう。展示されているデッサンを見る限り、彼は力のある画家と言える。ゴッホでさえ、人々が彼に気づくまで非常に長い時間がかかった。バッハに至っては、彼の真の理解者が現れるまで200年近く待たなければならなかったほどだ。
 近くのイタリアンレストラン(父の所望による)で昼食をとって、帰路につく。
 私よりも父の方が道路に詳しい。蕨-日本橋間には大学が多い。東京電機大順天堂大、東京医科歯科大、東洋大、東大など、10ほども数えられるのではないだろうか。途中、母を見舞う。そういえば、ここも大学だ。
 板橋区に住む叔母が先に来ており、新宿区の叔母、北区の叔父が我々の後から到着。この5人の前にも計4人の見舞い客があり、我々の後から3人の見舞いがあったという。意外にも母は人気者だ。
 新宿区に住む叔母はクラシックファンで、午前中には東京都交響楽団の公開リハーサルを聴いてきたと話してくれた。この叔母(父の妹にあたる)だってすでに80歳を過ぎた頃だ。一昔前なら考えられないほど行動的。それとも長寿の血筋なのだろうか。
 大急ぎで帰宅して、夕方からレッスン。
 今日やり残してしまった仕事は明日の午前中に集中的にとりかかることにする。