12月2日(木)

104409

 ファンタジーとは人間そのものである。
 暴力によるいじめを受けた少年は、自分が強かったらどんなに良いだろうと考えるかも知れない。それがすでにファンタジーではないだろうか。
 もっと成績がよければ、もっと金持ちだったら、もっとカッコよかったら、もっとスポーツが得意だったら・・・。
 人それぞれのファンタジーがあるに違いないが、その時どきの窮地を凌ぐためだけのファンタジーであるならば安っぽい。ファンタジーは、自らの本当の願いであってほしいものだ。
 大人と子どもの違いは、過去の音楽コラムで「大人(たいじん)」と「小人(しょうじん)」(「小人閑居して不全を為す」の小人)で説明したことがあるが、ファンタジーが具体的で実現可能になってきたら大人という説明も成り立つことだろう。
 それではつまらない、と感じる人は事実を認識できない人と付き合うことを考えれば目が覚めるはずだ。柔軟な発想と豊かな想像力なら大歓迎だが、硬直したファンタジー(ファンタジーは大抵柔軟ではなく、硬直している)から抜け出せないようでは、自己実現は永遠に不可能だろう。