12月3日(土)

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 NHK-Eテレの「音楽の学校スコラ」が終わってPC前に戻ってきた。今日の講義はエルヴィス・プレスリー
 プレスリーの訃報は大学4年の時、長野県野尻湖畔にほど近い保養所で聞いた。遊びに行っていたのではない。保養所で調理助手だの風呂掃除だのをしていた。
 エルヴィス・プレスリーという名前が、遠い昔の事のように響いた。彼が42歳という若さで没したことを考えると、ほぼ現在進行形であったはずなのに、ジュラ紀くらい遠く感じた。当時彼の曲は1曲も知らなかった。顔さえ思い出せない有様だった。で、今はどうかというと、当時とさほど変わらない。顔くらいは識別できるようになった程度。彼の音楽も、聴けば「これはプレスリー」と言えるかも知れないが、歌うように言われても動機一つ出てこない。だから今日のスコラは超難解だった。
 資料動画のエルヴィス・プレスリーは聴衆を熱狂させていた。絵を見てあれほど興奮する人は、まずいないだろうから音楽のほうが人々に与える影響は大きいのだろう。それとも生身のエルヴィスに人々は興奮していたのだろうか。エルヴィスに対抗しうるのはマイケル・ジャクソンだけだろう。
 来週はビートルズ。私はビートルズにもぎりぎり間に合わなかった世代だ。それでもビートルズはたくさん聴いた。来週のスコラは理解できるかも知れない。
 そういえば、このシリーズには北中正和さんが出演なさっている。彼が受け持っているFM番組の「ワールド・ミュージックタイム」は素晴らしい番組。世界中のご当地ポピュラーミュージックを次々と紹介してくれる。どうしてこんなにいい曲が国境を越えることができないのだろうと不思議になることが多々あるので、オンエアされる曲はどれも侮れない。世界中の作曲家全部がライバルに思えてくる番組だ。


 ところで、今日のびっくり。
 それはフランク・マルタンの「3つのやさしいピアノ曲」(1937)。とくに第2番にノックアウトされた。
 1年くらい前からレッスンに通ってくださっている、とりあえず「うやご女史」としておくけれど彼女が楽譜を見せてくれた。
 2台ピアノの曲。第2曲は「小さな白いマーチと黒いトリオ」というタイトルがついており、非常に不安定ながら(しかも揺るぎない)ハ長調(たぶん)。
 マルタンの底しれぬ力が秘められたような曲で、ひょっとしたら「私はまだ作曲と呼べるほどのことをしたことがないのではないか」と思わせる小品だった。
 いや、本当に、まだ作曲などしたことがないのかも知れない。
 いまスケッチをとっているヴァイオリンソナタのアイディアはなかなかいい線いってるぞ、と思っていたのに、マルタンを前にしては「児戯に等しい」という感じになってしまった。これから初めて作曲をする気分になった。もし、私に力があるならきっと名曲になることだろう。

 スコラの前には、吉田秀和さんの「名曲のたのしみ」を聴いていた。ラフマニノフの第8回。「2台ピアノのための組曲 作品17」と「6つの小品 作品11」。ラフマニノフも凄い。ラフマニノフのことを「早晩忘れ去られるであろう」と言い切った当時の音楽評論家は何を聴いていたのだろうか。まさか「調性から無調へ」という言葉を何の疑いもなく信じきっていたのだろうか。音楽は外見で残るのではなく、内包する独自の美学と完成度で後世に伝えられる。
 ほんの100年も経ったら、今知られている作曲家の多くが音楽史の中に埋もれてしまうかも知れない。特に20世紀後半のデタラメ音楽の作曲家たちは音楽史を紐解いても、その名をみつけることはできなくなっているだろう。しかし、ラフマニノフは聴かれ続けるに違いない。
 で、そのままFMを流しっぱなしにしていたら「FMシアター」というラジオドラマが始まった。その主人公が「誰かと2人きりでいるのだ駄目で、電車にひとりで乗れない」という設定だったので、最後まで聞いてしまった。フィクションだけれど、私のほかにもそういう人がいると思うと安心する。
 知らない人と2人だけでいたら、もう絶対逃げ出す。長距離列車に乗るのもNG。ましてや飛行機に乗るなんて狂気の沙汰だ。

 風邪薬で眠くなってきたから、今日はおしまい。


>日本の政治家に一人残らず読んでほしい記事。

ドイツ放射線防護協会によるフクシマ事故に関する報道発表