第0の要素

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 考えれば考えるほど、昨日のM先生の言葉は重い。そのおかげで“ドレドレ感”あるいは“フレーズ周期を感じとるセンス”は、音楽の3要素と並列に考えてはならないと思うようになった。
 バイエル攻撃も擁護も、このセンスに対する議論抜きではなりたたないからである。ドレドレ感なしでピアノレッスンを行なっているとしたら、たとえバイエルを使っていてもいなくても音楽の本質に接近できるとは思えない。考えがまとまったら音楽コラムに書かなければ。
 今日午後最初のレッスンは大人になってからピアノを始めた主婦のFさん。PPで全調スケールとアルペジオを弾いてもらう。この人はドレドレ感“ばっちり”で、単なるスケールやアルペジオが美しい曲として聴こえる。続くTさんも同様。お2人とも私のところでピアノを始めて、すでにショパンに到達しており、何を弾いても音楽的に響く。
 夜は高校生3人。最初は“なつみ”ちゃん。ウラノメトリア第2巻の「初めての属七」で盛り上がる。続くカナコちゃんは、今週「エリダヌス」の本番を迎える。演奏は充分すぎるくらい消化している。レッスンの後半は受験勉強の相談を受ける。進路は語学系。優秀な子には優秀なりの悩みがあるものだ。
 最後は、体育会系で夜遅いレッスンになってしまう“みさき”ちゃん。みさきちゃんも文武両道。何でも弾いてしまう。piu ppで全調スケールとアルペジオ。ウラノメトリア第2巻の「A Dur」を初見で弾いてもらったらとても美しかったので、もうすぐツェルニー40番が終わる彼女には、第1番をsempre ppで聴かせてもらう。今日はドビュッシーの「子供の領分」から“人形のセレナーデ”と“雪は踊っている”。
 彼女たち3人の演奏を私ひとりが聴いているなんて、もしかしたら大変な贅沢ではないかと気づいた。それも、いろいろな注文をつけて好きなだけ聴ける。