11月2日(日)

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 今日はレッスンが1コマだけ。ウラノメトリアに新たな校正すべき点を見つけた後、読書。
 2日前に紹介した佐々木瑞枝さんの著書で「女の日本語 男の日本語」。言語はその国の文化を背景としたものであり、日常会話さえ真の通訳は困難ではないかと感じるようになった。
 佐々木教授と留学生たちの日本語のやり取りは、留学生のレベルが高いだけに文化間の認識差を浮き立たせる。婚姻関係は、国ごとの意識の差が特に大きく興味深い。「嫁入り」「嫁に行く」「玉の輿」「逆タマ」「出戻り」などの日本における概念を一度にさまざまな文化で育った留学生たちに説明するのは難しい。「主人」「家内」も同様だ。女偏に箒で婦人の「婦」。家で掃除をする女という意味だそうだ。言われてみればそういう文字になっている。全てを紹介すると膨大な量になるので切り上げるが、日本で「国語」と呼ばれている教科は文法や文字の表記にのみ関心が向けられているのに対し、外国人に対する「日本語」という教科は文化の差の伝達の場となっている。
 グローバル化という言葉が広く使われるようになって久しいが、住む場所が異なる以上、人々の認識は必ずローカライゼーションされる部分があることは間違いない。世界の人々が同じ言葉を同じ意味として受け取る真のグローバル化への道のりは非常に険しいものとなるだろう。