12月7日(日)

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 今日は透明感のある快晴で冷え込んだ。
 朝一番で、父親が関わるイベントの仕事の手伝いで市内の寺院に写真撮影に出かけた。冬の陽は低く、肝心の被写体が日陰となっていた。しかし、リバーサルフィルムでの撮影なので日陰の狭いラティテュードを味方につけられるのではないかと考え、絞り優先モードで露光時間を変えて何枚か試してみた。結果は数日後にならないと出ない。デジカメならばすぐに分かるのだが、父は長年愛用してきた銀塩を譲らない。
 帰宅後、年末大掃除第3弾。そこへ産休中の“かえ”先生から赤ちゃん誕生の知らせが届く。ほんの少し前にカミさんと、赤ちゃんは生まれたろうかと離していたばかりだったのでタイミングにびっくり。
 午後からレッスンが1件。なかなか充実した楽しい時間を過ごすことができた。
 夕方からふじみの市のS氏宅まで、納品されたばかりのW-101のチェックに行く。ピアノマンションという、楽器はピアノならOKという変わった物件。ピアノのために一部屋が専用にあてられ、加湿器が稼働して湿度は55パーセントに保たれていた。ピアノのコンディションは上々だけれど、部屋の反響が大きく、カーテンやカーペットでもう少しデッドな音場を作ったほうがW-101の繊細な音が楽しめることだろう。
 帰宅後、家族はすでに夕食を終えており、一人で牡蛎のバターソテーを作って晩餐。
 たまってしまったメールの返信をしていると、カミさんがやってきて、無理矢理ピアノを弾かされた。ウラノメトリア2巻の“静けさ”が受けたけれど、結局ドビュッシーを弾かされた。ドビュッシーのほうがまだまだ上。そんなことは当然だ。でも、こちらはまだ生きていて、さらに上を目指すことができるのだ。
 カミさんのためのコンサートを終えてから今まで、岡田斗司夫さんの「オタクはすでに死んでいる」を読んでいた。まだ読み終えていないが、文化論として非常に面白い。おそらく、日本人の大多数はオタク文化についえ何も知らないだろう。アニメ好きをオタクというのではない。他者に影響されることなく自分だけの確固たる価値観を持つ人格を“オタク”というのであり、オタクは付和雷同しない。オタクを生み出したのは昭和という終身雇用と消費の時代であり、現在の社会状況ではオタクが存在し続けることは難しい、というような内容である。もし、明日新しい本を読み始めていなければ、また何か書くこともあるかも知れない。