1月7日(水)

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 放送大学の講義で洋画家の藤田嗣治が監督したという「現代日本」(1937)という6本の短編映画(大部分が失われている)のうちの一部(日本の子供)を観た。この映画は外務省が欧米列強に向けて日本の近代化と発展ぶりをを宣伝する意図のもとに企画されたものであったために、日本の真の姿を伝えることによってその力強さを表現しようとした藤田の考えは否定され、お蔵入りとなったらしい。外務省は欧米列強に追いついた「真似っこ日本」を見せたかったということなのだろうが、おそらく藤田の狙いどおり、日本の農民たちが持つ底力を見せたほうが効果があったことだろう。
 本当のことが分かっていたのが藤田であったことは明らかだが、それは今だからだろうか。もし、当時に生きていたら私は藤田を支持できただろうか。そう思いたいものだ。

 ウラノメトリアは非常に高度な内容を扱う方向に向かっている。21世紀のメソードとして、現代曲(実験的な作曲法や作品は、こちらの判断で外す)の演奏に役立つものにしようと意図すると、どうしてもそのような方向に向かわざるを得ない。問題は、それをどこまで解りやすく説明できるかにかかってくる。ウラノメトリアは現代曲のためのメソードというわけではないから、いままで語られてこなかった伝統的な奏法や音楽解釈(メソードに含まれなかったことが不思議なくらいの)についても詳細な解説を加えることになるだろう。つまり、今まで知りたかったのだが敷居が高くてなかなか手が出せなかった問題が初めて分かるという“やさしい”メソードになるだろう。