3月30日(月)

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 2週間ほど前に父から「アメリカの歴史」に関する本を借りてくるようにと頼まれた。今日はその返却を依頼されたので、父の定期通院に付き添うついでに図書館(休館日だが返却は可能)に寄ることにした。クリニックの待合室で「アメリカの歴史」(有斐閣)をパラパラとめくっただけで、自分がいかにアメリカ史を知らないかということに思い至った。「アメリカ人はいつ生まれたか」という見出しを見ただけで、1776年という単純な答えではないだろうと予感した。読んだのはせいぜい1時間弱なので、本当に一部だけだったが「代表なくして課税なし」という主張から始まった独立戦争英米戦争、メキシコ戦争南北戦争、米西(対スペイン)戦争など、第1次世界大戦前にも「戦争の国」だったことを再認識した。アメリカは大恐慌ニューディール政策で克服したように世界史で習ったが、実際には第1次世界大戦特需がアメリカ経済を潤した面を見逃すことはできない。「国民は平等か」という見出し、ジェンダーやポピュラー・カルチャーの項目も読みたかったが、近日中に私が借りて読むことにした。
 帰りのクルマの中で、通りがかった小学校の桜が咲き始めていたのを見て、父が「一樹無き 小学校に 吾子入れぬ・・・石田波郷」と言ったので、どうしても思い出せない俳人の名前を作品を挙げて訊ねると、父は少し考えただけで「後藤夜半だ」と答えた。息子の私のほうが記憶の保持が危ない。

 昨日の三枝君との作戦会議では「西本智美指揮、ボリショイ劇場オケ」によるショスタコーヴィチの「交響曲第5番」が俎上に上がった。定番である「ムラヴィンスキー/レニングラードフィル盤」と聴き比べても、明らかに明晰な解釈と上質な演奏である。金管の一部に乱れは感じるものの、それほどのキズではない。再現部のタムタム(ラージ・ゴング)の径が小さいことも少々気にはなったものの、それは聴き慣れた演奏からの違和感であるだけかも知れない。お薦めの一枚である。