6月24日(水)

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 今日は午後に毎年恒例の健康診断があり、夕方と夜にはレッスンが入っていたので、勝負は午後早い時刻までだった。ソナチネ第5番第2、第3楽章と第3番第2楽章。
 私は、しばしば「作曲が早い」と言われるのだが、それは怪しい。アイディアを思いついてから完成するまでの時間で考えると、非常に遅いように思えるからだ。インスピレーションというのは単なる“思いつき”ではなく、機械が実際に動くのと同じように「事実と齟齬がないしくみ」を思いつくことだ。つまり、時計師たちが複雑な脱進機(たとえばトゥールビヨンのような)を腕時計の中に収めてしまったように、その“からくり”をそっくり思い浮かべられるということ。音楽といえどもセンスだけで楽譜にするのは無理で、論理的な解答が必要なのはいうまでもない。
 バラード(1970/1985)は中学生の時のアイディアの“しくみ”が、15年後にようやく明確になった例だが、ウラノメトリアに収められる「Alla Marcia」に至っては中学生の時のアイディアが2007年に楽譜となった。実に37年かかっている。「ヴェルレーヌの詩による・・・」の第1曲「恋人のくに」は1974年に書き始めた曲だから16年、第4曲「秋の唄」は1988年のスケッチが基になっているので12年、第6曲「木馬」は1992年だから8年かかっている。フルートソナタは7年。もちろん、すいすいと書いた曲もある。しかし、それはすでに仕組みが分かっている時の話だ。
 ほんの少しの期間作曲に行き詰まって、たとえば3カ月くらい書けないと「もうダメだ」と投げ出す人は、それまでということだろう。
 書けない理由は2つ。ひとつはアイディアが事実とかみ合っていない場合。正解以外は全て何も思いつかなかったのと同じ。駄目なアイディアは、すぐに見極めて捨てるべきだ。駄目かどうかは過去の大作曲家の作品が教えてくれる。もうひとつの理由は技術も考えも足りない時。その素晴らしいアイディアを形にするためには、技術を磨き続けて自分自身がそのアイディアよりも優れるしかない。そのためには何年だって待つ価値がある。