9月5日(土)情報の伝達

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 音楽に関わるスキルで最も重要なのは楽譜から何を読み取るかということである。
 と書くと、それが音楽的解釈に関することがらであるように思われるかも知れないが、実際にはそれ以前知られざるハードルがある。ピアノ演奏に関して言うと、一般的な古典派・ロマン派の定量楽譜から音価と音高、強度を読み取るのは初心者にとってもそれほど難しくない。センスさえ身につければペリオーデの周期を読み取ることも難しくはない。ペリオーデが明らかになれば、隠れた拍子、つまり楽譜に現れないアクセントの位置も明確になる(もちろんペリオーデへの理解不足があれば真の拍子は霧の中となってしまう)。そして大問題が、どのようなピアノ・テクニックによって奏するのかということだ。ロールンクやシュッテルンクを知らないと、それだけで作曲者の想定とは全く異なった表現、音色になってしまう可能性が高い。同音の単前打音やトレモロ、高速スケール時の「指おくり」ならぬ「指ワープ」、速いパッセージにおけるnon legato奏法などは、作曲者がどのように考えていたかを読み解かなければならない(その上で、異なる判断をするのは自由)。これらの問題は初心者には関係がないだろうと思ったら大間違いである。むしろ、初心者の時からそれらを正しく学ばなければ、早晩、ピアノの壁が立ちはだかることだろう。
 それはこういうことだ。ある曲の楽譜を弾いて「名曲」「駄作」というように評価が分かれた時、それは曲への評価ではなく、自分の演奏に対する評価であったりするのではないか。いつも述べているように作曲工房ではバイエルもバーナムもツェルニーも大人気エチュードである。決して「税金」ではない。ネット上では「つまらない」という意見が多い練習曲群だ。「つまらない」と聞いただけで、どのような演奏をしているのか想像ができるような気がしてしまう。
 これと同じことが文章についてもあてはまる。
 小説を読んで「面白かった」「面白くなかった」というように意見が分かれた時、その答えの何割かは表面的な意味の読み取りによる理解不足があるのではないか。何もセンター試験の現代文読解のように難解な文章について言っているのではない。ある小説家が、読者から送られてくるファンレターに書かれている小説の誤読の多さに対して苦言を呈していた。
 時々、レッスンに通う高校生たちに、新聞のコラムやニュース記事を読ませて内容について話してもらったりしている。今週は、明らかに論理的に破綻しているネット上のニュース記事(本当にプロ記者が書いたものだろうか?)がお題だった。にも関わらず、いわゆる学力偏差値の高い高校生たちでさえ、何が書かれているかということだけに関心が集中し、記者の理解に論理的破綻があるなどとは思いもよらないようだった。
 論理的破綻を明らかにし、記者の先入観が事実との齟齬を生んでいることを示すと、ようやくそのことに気づいてハッとするという印象。彼ら、彼女らを観察していて思ったことは、次のとおり。
 記事なり文章なりの外側には、それらを形成するより大きな外枠があって、その外枠を捉えて読まない限り、外枠との矛盾には気づかないということだ。
 そのまま楽譜の読解に戻ると、音楽の外枠を学ばなければ楽譜からの情報を正しく読み取れないのではないかという結論めいた考えに到達する。
 今日も、もう一人高校生のレッスンがある。彼にもちょっぴり意地悪な質問をする気満々になっていたりする。