9月7日(月)

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 今朝は、昨日の疲れを少々残して目覚めた。こんなことではいかん。身体を鍛えなければと思って、意味もなくベッドの中でイメージエア縄跳びをしながらのイメージジョギングを1キロ、イメージ腕立て伏せを30回やった。筋肉は増えなかったが想像力は身についたかも知れない。よく知っているはずの近所の道を走ったのだが、細かい風景を思い出すことができず、なかなか難しい挑戦だった。今度、リアルに走った時には注意深く景色を眺めてしまうことだろう。
 さて、民主党の「子ども手当て」には賛否両論出ているようだが、要点を整理してみる。
 麻生総理は党首討論鳩山代表に「子ども手当ては、子どものいない人には増税になるのではないか?」と発言した。税の本質は所得の再分配であるから、この発言は麻生総理が税の根本的な仕組みを知らないという可能性を示唆している。物事を簡単にするために、子ども手当ての財源を全国民から等しく徴収する税金とすると、全ての国民が増税となって、子どものいる家庭には収めた税以上の金額が返ってくることになる。実際には財源はそんなに単純なものではなく、増税以外にも無駄な支出の削減や、他の支出をふり向けるなどして決めるので、ここで一概に論じることはできない。だから、麻生総理も財源の振り分けがうまくいかなければ増税になるのではないかと発言した可能性もある。
 子ども手当ては15歳までの子どもひとりあたり月額2万6000円。1年で31万2000円、15年で468万円となる。子どもが3人いれば毎月78000円、1年で936000円、15年で1404万円となる。親の月収が26000円から78000円が増えると、統計上、収入の平均額が低い母子家庭には、足りるとは言えないまでも少なからぬ効果があることだろう。子どものいない家庭、あるいはわが家のように15歳以下の子どもがいない家庭にとっては釈然としない印象を与えるかも知れないが、総額5兆3000億円が使われるとしたら経済への波及効果は無視できないものになるだろう。この金額は防衛予算(4兆7000億円)よりも大きい。過去には景気対策というとすぐに公共事業という、まるで「UFO効果」(UFOという言葉を知らない時には誰も宇宙人を想像しなかったのに、今では妖しい光を見るとUFO以外のアイディアが浮かばない)のような発想法しか持ち得なかった政治家たちだが(ニューディール政策効果なのか?)、公共事業によって使われる予算が社会に波及するまでには非常に時間がかかった。それに比べて、子ども手当ては主婦層がパートで働く近所のスーパーマーケットや大学生たちがアルバイトしている飲食店・学習塾などに使われ、速やかに経済効果が波及すると考えられる。(ただし、扶養控除と児童手当てが廃止されるので、実際の数字は少し異なる)
 防衛費を削ることなどに懸念を示す声もあるが、国家の経済が拡大しないことには防衛費も増やしようがない。特に防衛費は経済効果の点では子ども手当てほど望めないとも考えられるので、高速道路無料化と子ども手当て、公立高校の無料化という施策によって日本の人口と経済を立て直し、それから国造りという道順をたどるしかないのではないか。
 私自身、実態経済を把握しているわけではないので、本当のことは分かりにくいのだが、過去に例のない大実験として見守ることにしてはどうか。小選挙区制度では、国民がその気になればNOと言えることも体験したわけであるし、駄目だと思ったら投票行動で民意を示すまでだ。
 もし、子ども手当てに問題があるとすれば、次のようなことではないか。
 親は子どもに経済的な苦労をかけたくないと思うことだろう。しかし、経済的に苦労して育った子どもと、そのようなセンスを持ち合わせない子どもでは、最終的にはどちらが幸せだろうか。わが家の子どもたちは経済的な苦労にどっぷりと漬かって育ってきたので、成績は悪くとも自立心だけは旺盛だ。世の中楽々暮らせるなどとは微塵も思っていないことだろう。福祉国家スウェーデンの手厚い福祉政策による家族の崩壊の例を引きあいに出して心配する声(出展:ルンド大学のポールソン教授の主張)があることも書き添えておく。