10月17日(土)

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 今日もレッスンが続いた。小学生・中学生・高校生・大学生の4人。こういうのをサイクルヒットのようにサイクルレッスンと言うのだろうか? 準備と切り替えが大変。
 夜になってからニュースで加藤和彦さんが亡くなったことを知った。2度目の夫人だった安井かずみさんの死から早くも15年が経っていることにあらためて驚いた。
 一般の人にとっては「フォーククルセダーズの加藤和彦」という印象が強いかも知れないが、彼は誰がなんと言おうと「サディスティック・ミカ・バンド加藤和彦」だった。ミカバンドがなかったらロックに興味を持たなかったかも知れない。
 若い世代の人たちはピンとこないだろうが、1970年頃の日本は熱かった。20世紀少年のキーワードともなっている「大阪万博」の年でもある。私はまだ中学生で、誰より早く時代に一歩先んじる音楽を生み出すために呻吟していた(呻吟していただけ)。高度経済成長の波に乗った日本は、ちょうど今の中国沿岸部のように舞い上がり、人々は浮かれていた。だからフォーク・クルセダーズが「帰って来たヨッパライ」を歌えば、人々は面白半分でそれを聴いた。しかし、それを歌っていたのは加藤和彦(作曲家、ギタリスト、プロディーサー)、北山修精神科医。医学博士。現九州大学大学院教授)、はしだのりひこシンガー・ソングライター)という天才たちだった。フォークル解散後に加藤和彦はミカバンドでリスタートを切る。メンバーは、最初の妻となる福井ミカ、つのだひろ、高中正義。後に高橋幸宏後藤次利が加わる。いやあ、ゾクゾクするようなメンバーではないか。
 ミカバンドは10年先を行くロックバンドで、その後ロンドンでブレイクして話題になった。後で知ったのだが、彼らはロキシー・ミュージック(ブライン・フェリーの立ち上げたバンドで、一時期ブライアン・イーノが参加していた)の前座をつとめていたのだった。ロキシー・ミュージックと聞くだけで、またゾクゾクするが、彼らもまた10年先を行っていた。
 そしてプログレッシブ・ロックの台頭(キング・クリムゾンELPピンク・フロイドら)によって、ロックはジャズを超えるかとも思ったが、時代は音楽の多様化を選んだ。一般の人々にとって音楽の進歩はどうでもよかったのかも知れない。細かく枝分かれした音楽は、それぞれが別々のファンを獲得し、人々の共通言語ではなくなった。
 1980年代に入るとパンクロックやヘヴィメタルの台頭などもあったが、多様化とともに概ね音楽世界は徐々に冷却化していったように見えた。もちろん個々の人々はそれぞれが熱気を持って音楽に接していたとは思うが、1970年代に世界が熱気を帯びたようにはならなかった。
 そのような状況下でも加藤和彦さんは新しい試みに挑戦していた(と思う)。
 慎んでご冥福をお祈りいたします。