11月28日(土)「悪魔の代理人」という役割

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 今朝の食卓の話題は、昨日27日讀売新聞夕刊にあった茂木健一郎さんの「批判の洗礼が質を高める」という記事だった。話題の主はカミさん。
 要約すると、民主党が行なっている事業仕分けについていろいろ批判があるようだが・・・、と前置きしてからカトリック教会における悪魔の代理人という存在の役割について詳しく述べている。悪魔の代理人は聖人を列する時に、その人に不利な証拠を挙げて反対する。本当に奇跡を起こしたのかどうか、人柄に問題はなかったかどうかなど、批判的な立場から吟味する。そんな悪魔の代理人が目指すのは、あくまでも列せられる聖人の質を高めることにあり、あえて反対の立場をとることによって聖人が、そのような批判をも乗り越える素晴らしい事跡を遺したことを保証したのである、と結んでいる。
 事業仕分けを批判する人たちの視点のずれを見事に突いているとは言えないだろうか。カトリック教会の味方をするわけではないが、カトリック教会の歴史の重みを感じさせるエピソードである。私は科学側に立つ者と自負しているが、ノーベル賞受賞者の皆さんの言葉の軽さには少々落胆せざるを得なかった。まるで説得力を感じることができなかった。ぎりぎりの崖っぷちに置かれた生活弱者の悲鳴のほうがずっと説得力がある。予算獲得を望むなら本気でかかるしかないだろう。
 余談だが、茂木健一郎さんの税務不申告問題を取り上げて「出演番組をとりやめるべきだ」などとメディアで批判している人がいるので一言。私は茂木さんの言葉に興味を持っているが、彼が悪事を働いても許してやったらどうかなどという立場をとるつもりはない。日本の税制度は、次の2つの方法を認めている。ひとつは事前申告して正規の税を納める方法。もうひとつは申告せずに、推定課税を受けること。脱税は犯罪だが、こちらは罪にはならない。その代わり、大変高額な税が課されるだけである。きちんとした規定があるのだから、倫理的にも問題はない。もし全ての国民、および日本国内で利益をあげている全企業が申告をやめれば税収が増えて日本の財務は黒字化する可能性さえある。現実問題としては、税務担当職員が足りずに課税推定額を算出することができないということが考えられるが。