12月31日(木)大晦日

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 今日は珍しく家族全員7名が揃う。といっても同時に一同に会したわけではないが。
 朝から年末の最後の詰め。最大の難関は気調システムの全フィルタを清掃すること。風が強かったので屋外4カ所のプレフィルタは保留。花粉まで止める8枚のメインフィルタは、最近とてもきれいだ。というのも、ディーゼルエンジン車の排気規制で粒子状汚染物質(PM)が減ったため。以前はメインフィルタを洗うと墨汁のような汚れが出たものだ。東京外環道にそれほど遠くないためだろう。そのようなわけで、気調システムなしでは暮らせないのではないかと思ったほどの汚れだった。それが、今ではフィルタには通常の埃が付着するだけだ。屋内からの空気の吸気口は各階3〜4カ所ずつあり、それぞれに2枚のフィルタがある。さらに各室内への給気口が30カ所くらいあり、そのフィルタも全て洗う。長男と2人でほぼ半日がかりの作業だった。
 昼は1・2階の冷蔵庫に入りきらなくなった食材で豪華(?)なランチ。“ビストロ・とむりん”にようこそ、な時間だった。
 こういう日常の家事をしていると、しばしばインスピレーションがやってくる。身体が覚えてしまった行動を繰り返しているだけなので、頭は自由になっているのだろう。今日も、すぐにPCの楽譜前に駆けつけた。昨日はGだと思っていたところが、実はGaugであることに気づいたからだ。その増3和音はCm9に解決していた。このところ、ずっと耳コピをしているのだが、他人の曲を楽譜にしていくのはなんとも面白い体験。
 作曲は長い時間をかければよいというものではないが、楽譜を整えるには時間がかかる。1年はわずかに365日しかないので、毎日3時間音楽に頭を巡らせても1000時間と少しだ。少し大きなスコアになると100時間くらいすぐに費やしてしまうので、年間10曲しか書けないことになる。モーツァルトは35年あまりの生涯に23000枚ものスコアを書き残した。多くの多作家はその中にいくばくかの佳作が含まれているに過ぎないが、モーツァルトは全く違う。すべて粒ぞろいだ。モーツァルトだけではない。音楽史上の大作曲家は妥協しないかのように見える。100曲書いて10曲の名曲を手にするのと、10曲書いて全てが名曲であることは根本的に異なる。ここでいう名曲とは後世の手本となるような、つまり音楽の源流となる素質を持った曲のことを指す。
 だから俗に言う音楽能力の高さ、たとえばソルフェージュ能力や高度な演奏技巧があったとしてもそうなれるとは限らない。命を吹き込むような、あるいは他を圧倒するような力を持った曲を書くには、大作曲家たちが何を大切であると考えていたかを探るしかないだろう。
 
 そう言えば、忙しいとはいえ読書する時間さえあったのに、年賀状は一枚も書いていない。私にとっては、きっと少しも重要ではないのだろう。などといいつつ、いざ年賀状が届くといそいそと用意してしまうのだが。
 
 今年一年、お世話になった多くの方、また作曲工房サイトご来訪の皆さんに深く感謝いたします。