1月27日(水)

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 午前中は父の定期通院付き添い。
 診察を終えると、すでに午後。父が所用を済ませたいということで役所関係2カ所を回る。
 その後、父が外食を希望したので言われた店へ行く。出てきたのは大皿に盛られたカレー。父は完食。こちらは全く敵わない。
「このカレーがうまいんだよ」
 長寿であるといことはスーパーマンであるということなのだ。
 午前中、父の待ち時間に「牧野富太郎自伝」を読了。父に頼まれて図書館から借りてきたものだが、返却を頼まれてから読み始めた。傑作。植物学者の牧野富太郎博士は、学歴がない(小学校中退)ために東大奉職中にひどい待遇を受けた。要するにイジメである。その頃に幅をきかせていた大学教授たちはすでに忘れ去られている。つまり、大学内での地位は高くとも科学上の真の業績はなかったということだ。
 牧野博士は、赤貧の中、共に苦労してくれた夫人の話や植物学の研究のことを天衣無縫に語り続ける。
 私たちも毎日、本当のことを行なっているかどうかが後世に問われることになる。忙しくしていればよいというものではない。為すべきことを為さなければならない。
 午後は母の病室に。蕪の浅漬けがとても上手にできたので自慢げに届けた。クルマにしばしば乗るようになって、運転感覚が戻ってきた。その証拠に運転が苦にならなくなってきた。思い起こせば30代の頃には4年で10万キロ超を走っていたのだ。それが8年で1万キロにまで減ったのだから運転嫌いになっても不思議はないだろう。給油も年に3回程度という年が続いた。
 母の病室には宇都宮に住む姉が来ていた。
「お母さんと姉妹って間違えられたのよ、ショック〜」
 歳をとると年齢の割合が近づいてくるから、そう思われても不思議はないだろうと思うが、女性にとっては重大な問題なのだろう。
 娘の“たろ”は、美術予備校の帰りに毎日のように母(祖母)の病室に立ち寄ってくれている。母の病室は賑やかだ。
 
 今日の収穫は川幡宏さんの「はじめての弦楽器メンテナンスブック」と山崎孝さんの「ピアノを弾く人のための音楽用語ハンドブック」を図書館で発見したことだ。
 川幡さんは、ヴァイオリンマイスターの無量塔蔵六(むらた・ぞうろく)さんの工房出身の楽器製作者。
 ヴァイオリン各部の名称ならば書物を紐解けばすぐに分かることだろう。しかし、使い続けている人にしか分からないこともある。さまざまな状況下におけるヴァイオリンの持ち方、置き方、弓の緩め方、チューニングの方法、松脂がどのくらい飛び散るか、そのふき取り方、駒、指板、アジャスターの種類、果てはいつの間にかヴァイオリン内部で形成される「トーンボール」まで。気さくな文章で深いところに突き刺さる内容を淡々と書き連ねている。これはすごい。
 そして、もっと凄いかも知れないのがピアニストの山崎孝さんによる「音楽用語ハンドブック」。私もレッスンで「アレグロ」の意味は音楽辞典ではなく、実際の楽曲から読み取るべきと主張しているのだが、これはそんなレベルではない。わずか70語程度の解説に286ページを費やしている。私は山崎孝さんをバルトークのピアニストと認識していたが、それは甚だしい認識不足だった。
 この2冊を知って、ウラノメトリアはまだまだ詰めるところがたくさんあることに気づかされた。ウラノメトリア・デルタ(理論編)を早く書きたい。