2月9日(火)

52175

 午前中はピアニカ・アンサンブル「ベッラ・アミーカ」のリハーサルのために浦和パルコに。
 自分の自転車を持っていないので“たろ”の「クロダ(謎のネーミング。クロダの前にはメロプリ号というのに乗っていた)」を借りていく。片道わずか5kmだがアップダウンの激しい浦和の台地を息を切らせて走った。若い頃、一時期「白幡坂上」という台地の頂上付近に住んでいたのだが、当時は今ほどアップダウンが気にならないほど体力があったらしく、ほとんど苦にならなかった。「息を切らせて」とは書いたものの、初めて乗った“クロダ”(たぶん安物)がなかなか良い自転車(外装6段変速)で、久しぶりに自分の自転車が欲しくなった。
 リハーサルは、ベッラ・アミーカの皆さんの「怒濤の追い上げ(彼女たちの言葉)」で先週とは見違えるような演奏になっていた。ステージは2月27日。残りの日数は少ないが間に合いそうな印象。
 昼ごろ、リハーサルを終えて外に出ると春の陽気。東京観測点では21.0度まで上がったというニュースがあったが、さいたま市観測点も21.3度(15:10)を記録している。群馬県上里見観測点の24.1度(13:19)は2月の観測史上第1位。ほかにも全国各地の数観測点で観測史上第1位を記録している。

 午後から夜までレッスンが続く。
 夜に作家の立松和平氏逝去(享年62歳)の報に接し、1992年に立て続けになくなった干刈あがた(享年49歳)、中上健次(享年46歳)各氏の訃報を聞いた時の眩暈のような感覚を思い出した。当時、私は30代半ばで、たまたま彼らの作品を読破中だった。私もまだ若くて体力・気力も充分だったので、中上健次作品などは全部読んでやるくらいの意気込みだったのだが、ぱったり読まなくなった。なぜなら、彼らの死が、私自身の残り時間も思ったほど多くないのかも知れないことを告げていたからだった。