4月11日(日)

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 朝、カミさんがテレビのバラエティ番組の内容に話した。要約すると次のようになる。
母親「子どもたちがいろいろな習い事をしていて遊ぶ暇もない。こんなことで本当に子どものためになるのか?」
脳科学者「簡単です。ピアノだけ習わせなさい。データが揃っています」
 だから私は、それは本当であると言った。勉強しても頭はよくなるが、それは解法まで自分でたどりつこうとする場合だろう。物知りになることは頭がよくなることとは異なる。
 ピアノを演奏するためには、まず楽譜を読みとる。それを鍵盤上のアドレスに置き換え、次にその位置情報と指番号をあわせなければならない。さらに、そのために身体(主に腕や指だけれど、正確には全身)を同期させないと音は出ない。そして、ようやく音を出すと今度はそれを聴覚がフィードバックしてタイミングや強度が適正であったかどうか判断し、身体に修正情報をフィードフォワードする。それを両手瞬時に行なうのがピアノ演奏である。全身全霊を傾けなければ、ピアノは弾けないのだ。しかし、本当に難しいのはフィードバックされてきた音の「耳による判断」である。ペリオーデのセンスを持っているレスナーの指導を受けなければペリオーデは聴こえないし、ピアノの音色についても、音楽の形式感も同様。
 そんな面倒なことを考えなくとも、作曲工房だけしかデータがないから分からないが、門下からは毎年かなりレベルの高い高校・大学に進学しているのを見ると、相当な訓練になっているという実感はある。入門時にテストがあるわけではないから、優秀な生徒を集めているわけではない。あるいは、ピアノを習おうと思い立つのは賢い子どもたちなのだろうか?

 今日は午後からmusica-due作戦会議。5月5日に東京流通センターで開かれるM3即売会に出展するための打ち合わせのはずだった。しかし、現在、たまたま三枝君と私の2人とも2台ピアノの書法について取り組んでいるため、それに話題が集中してしまった。
 ピアノの4手連弾と2台ピアノ(ピアノ・デュオ)は、ピアノ曲のジャンルとして全く異なるものだ。4手連弾は音域の分担による2人3脚のようなものだが、デュオはフルレンジのソリスト2人によるアンサンブルである。
 アレンスキーのピアノデュオも、かなりいい線を行っているのだが、ラヴェルの「序奏とアレグロ」のピアノ・デュオ編曲版が我々の作風から見ても、もっとも参考になりそうだった。4手ソナタをピアノ・デュオに書き直す時、メロディーは同じでも、コンポーズ(音の構成)は大きく異なることになる。いま計画している内容は企業秘密だから書かないが、連弾ではできないシェパード・トーン(聴覚の錯覚による上昇、または下降感)などもデュオならではの効果だろう。
 昨日のテレビ番組「スコラ、音楽の学校」で坂本龍一岡田暁生両氏の鼎談のなかで「ミの発見」が語られていた。三枝君は、そこをもっと追究してほしかったと言って、長3度の受容はなぜ起こったのかという疑問を呈した。平均律の長3度は、実は非常に聞き苦しいものである。自分で調律するようになってから初めて聴こえてきたのだが、長3和音が猛烈な不協和音なのである。調律の順序で言うと、最初にA-Dを2セント広い完全4度に調律、次いでD-Gを2セント狭い完全5度に、さらにG-C、C-Fと合わせると、ようやくF-Aの平均律における長3度が現れる。純正長3度に比べて14セントも広いのでぼよよよよよ〜んと聴こえる(音波の干渉)。それを不協和ととらえるかヴィブラート効果と捉えるかによって受容するかどうかが決まるのだろう。Fの次はB(変ロ)を合わせるので、ここでもB-Dの長3度が現れる。この長3度も14セント広いのだが、振動数でいうとF-Aよりも高いので、ぼよよよよよよよよよよよよよ〜んと単位時間(たとえば1秒間)あたりの揺れる回数が多くなる。余談だがピアノの調律を部分的に行うのは無理で、調律しようと思ったら、まず1オクターブにわたって平均律の割り付けをしなければならない。慣れてくると、平均律の割り付けは実にワクワクする作業になってくる。厳密さを要求されるのはユニゾン合わせだけれど、私のようなアマチュア平均律の割り付けは毎回微妙にずれるらしく、調律後に演奏するとE Durが輝いたり、B Durがシルクのような感触になったりして楽しい。