4月27日(火)母の家族葬

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 今朝、葬儀社のわが家担当のTさんが母の棺(ひつぎ)を式場に運ぶためにお見えになった。先に亡くなったTさんのお母さまと私の母は母親たちの仲良しグループの一員で、私が小学生の頃には家族一緒に旅行に行ったりもした。だから、私とTさんは幼なじみで、今回の葬儀でも本当に親身になって奔走してくださった。
 母の棺を家族で見送ってからほどなく、私たちも式場に向かう。会場は三学院極楽殿真言宗智山派、金亀山(こんきさん)極楽寺山学院の斎場。山学院の本山は京都智積院
 午前11時告別式開式。家族葬なので、両親の姉弟夫婦と子ども夫婦、孫のみが参列。祭壇は花だけで埋め尽くされ、花の間には「誰の誰兵衛」とか「子供一同」などと書かれたものは一切ない。花輪も生花もすべてお断りした。出棺前には棺を花で埋め尽くし別れを惜しんだ。
 12時出棺。喪主挨拶を終えると、ここで父は健康上の配慮でカミさんと自宅に戻った。私は喪主代理として母の白木の位牌を持って霊柩車に同乗。斎場は板橋区舟渡にある戸田斎場。クルマで10分ほどの距離。戸田斎場のすぐ近くには「家畜愛護院」という動物たちを弔う墓があり、そこにはかつてわが家の家族の一員だった猫の「ジョーンズ」や柴犬の「ミオ」、「パン」たちが眠っている。
 火葬を待つ間、待合室で私がひとりひとりを会葬者全員に紹介した。葬儀に行くと、知らぬ人ばかりの間で過ごす時間が辛く、つまらなかったからだ。今日のために、父の住所録で叔父叔母のフルネームを確認し、全て暗唱できるように事前に準備しておいた。わが家の親戚の人間関係は非常に良好で、トラブルは聞いたことがない。30分ほどで全員を紹介しおわると父方、母方の親戚同士双方がすべて知り合いになった。健康上の理由で、叔父叔母に代わって父母の甥・姪夫妻が来ている場合もあるので、今日が初見参という人もいたので効果は絶大、たちまち場の雰囲気が打ち解けた印象になった。
 午後2時過ぎ、山学院に戻って極楽殿の和室でお清め。この時にお出しした料理は、娘の“たろ”の小中学校時代の同級生の実家の仕出し屋さんにお願いした(なおこちゃん、とてもおいしかったよ)。
 食事が少し進んだところで、今度は会葬者の皆さんに一言ずつ母の思い出を語っていただいた。叔父・叔母たちから私たちの知らない若い頃の母のエピソードが次々と語られていくと、母の人生の全体像が見えてきた。こういう機会を設けなければ、誰もが自分だけで記憶を抱えて終わってしまいかねないところだった。
 会場には私の祖母に抱かれた、生まれたばかりの母の写真や、20歳頃の美しい母、結婚式の記念写真、そして孫が産まれるまでの母の人生を一望できるように思い出コーナーが設けられていた。会食が始まる前に、皆さんがそれらを眺めていろいろなことを思い出してくださったのか、内容が豊かな本当に貴重な機会となった。そして、母が姉弟たちから、いかに愛され慕われていたかも知ることができた。
 午後3時半、喪主代理としての挨拶を行い、私は無事役目を終えた。
 帰り際、叔父夫妻の代理で出席してた従兄弟の妻(これまでほとんど話したことがなかった)から「得難い貴重な機会を与えていただきありがとうございました」とお礼の言葉を頂いた。それが「親戚のことを知る機会」であったのか「葬儀のやりかた」であったのかは分からないけれど、心から感激してくださっていることが伝わってきたので嬉しく思った。
 帰宅してしばらくすると、数人の叔父・叔母から電話があり「すばらしい会だった。葬式に出てこんな気持ちになったのは初めてだよ」などとお褒めの言葉をいただき、半分お世辞としても報われた気持ちになった。なんと良い叔父・叔母たちなのだろう。そのお陰で、疲れてヘトヘトであったにもかかわらず、明日もいい日に違いないと勝手に決め込んだのだった。