5月23日(日)

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 朝から雨。一日雨。時系列予報によると明日も雨。
 今日は作曲の勉強に通ってくださっている横浜のAさんのレッスン。彼女は私がレッスンしている中でも一番の変わり種。他の人と質問の内容(視点)が異なるので、こちらが勉強になる。
 今日のテーマはエルンスト・トッホの「旋律学」。ほとんど全ての書物は著者が得意とすることについてのみ書かれている。つまり、事実全体を観察している人(そんな人はいないだろうから「非実在観察者」となるのだろうか?)から見れば、全ての書物の内容に偏りがあることになる。
 トッホが行なった旋律の類型的な分類は見事で、その譜例の豊富さから考えても優れた音楽研究者であることが窺えるのだが、いくら他者の旋律を研究しても名旋律が書けるとは限らない。土肥泰先生は「メロディーは勉強だけでは書けない」と断言しておられた(くやしいけれど、それは本当だ)。
 私は自分自身が、メロディーメーカータイプではなくコンポーザータイプであることを自覚しているので、主題労作を厭わない。単純な部分動機から魅力的な音楽パーツを作って、それを組み上げていく。だから自然と新古典主義的な作風になる。しかし、ここで言う“新古典主義”とは古風であることを指すものではない。ラヴェルは生前、かなり前衛的な作曲家だったと思われるが、彼も新古典主義。だからドビュッシーと共通する和声を使ってもそのスタンスは全く異なる作曲家と言ってよい。
 
 本音を言うなら、私だって一度聴いたら忘れられないようなメロディーを書きたい。ショパンはメロディーメーカーでありながら新古典主義的な作風だった。なんと羨ましいことだろう。