6月20日(日)箱根旅行

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6月19日(土)

 天気は明るいくもり。朝9時頃、父を乗せた我が家のクルマ(以下、ユードラ)は隣市に住む妹宅で妹夫婦を拾い、首都高速埼玉線、浦和南ICへ。
 少し前に母方の叔父から「今度できた大橋ジャンクション(2010年3月28日開通)はなかなか凄い構造物だ」と聞かさせていたので、カーナビなどないユードラ・ドライバーの私は首都高速道路株式会社のサイトにある「動画案内」で前日までに経路を全て頭に叩き込んだ(つもり)。首都高速5号線は空いており、ほとんどストレスなく熊野町ジャンクション中央環状線(C2)に分岐、高松を通過して地下へ入った。そこからは下り坂が多く、だんだん大深度地下へ入っていくような感覚があった。大橋ジャンクションは高低差71mをループ状のランプウェイ(“接続道路”のほうが正確か?)で一気に登る、と言いたいところだが、ここだけ渋滞していてループを何周したのかも分からなかった。首都高速3号線に入ると渋滞は解消し、ほどなく用賀の東京ICを通過して東名高速に。
 厚木IC(ジャンクションも兼ねている)から「小田原-厚木道路」に乗り換える。一竹工房時代には時折仕事で走った道路。土曜日だというのに交通量は少なめ。箱根口までストレスなく走れた。そこから国道1号線に入って、山道を登る。昼前には宮の下に到着。予約してある対星館を過ぎて、最初の目的地富士屋ホテルに向かう。富士屋ホテル近くの公営駐車場にユードラを停め、富士屋ホテル近くの「箱根そば」という店で昼食。蕎麦好き御一行なので評価は辛口。この店は不合格(あくまでもモリアキ翁一行だけに限っての話)。
 その後、父が希望する、この旅最大の目的である富士屋ホテルの見学に。富士屋ホテル明治11年開業の日本初の様式リゾートホテル。旧宮ノ下御用邸「菊華荘」だったという由緒正しい建物が残っている。ホテルには宿泊目的以外の客も多い。ちょうど結婚式を終えて外へ出てきた新郎新婦に出会った。いやいや、とても幸せそうだ。そんな時もある。
 富士屋ホテルは、建物によっては文化財指定も受けている。ホテル主催による見学ツアーも用意されているのだが開始時刻が午後4時半で、残念ながら参加できないことが分かった。それで、自由にホテルの各建物を見学したが、それでもまだ時間がたっぷり残っていたので、妹の提案で急遽、対星館のチェックインまでをポーラ美術館で過ごすことになった。
 ポーラ美術館は、以前から一度行ってみたいと思っていた。なぜならウラノメトリアの装丁を担当している“うしお”さんが絶賛していたからだ。妹のぽーりんがポーラの会員証(?)を持っているので、会員料金で入れるという。
 富士屋ホテルから約8km、仙石原(せんごくはら)の有名な箱根湿生花園からほど近いところにある。両側が森という自然たっぷりな道路を走っていくとポーラ美術館の案内が。一面が霧に覆われて一気に幽玄な雰囲気に。
 専用駐車場(なんと有料500円)にユードラを停めて、正面玄関ではなく、クルマ椅子入り口から入って父をクルマ椅子に乗せる。話には聞いていたけれど、収蔵品を見て少なからず驚いたというのが本音。その大部分が地下にある美術館の建物そのものも美術品といえる建築。川村記念美術館以来の驚きだ。
 岡田三郎助の「あやめの衣は、ここにあったのか! 青木繁も、藤島武二も、浅井忠も、岸田劉生も、三岸好太郎も、佐伯祐三も、村山塊多も、安井曽太郎も、萬鉄五郎も、高橋由一まである。それも良い絵ばかりだ。日本画横山大観川合玉堂など有名どころも揃えているが、杉山寧のコレクションは質量ともに圧巻。西洋の近代美術も充実している。近代美術史を網羅しているといっても過言ではないだろう。なかでもモネのコレクションが素晴らしい。しかし、もっとも目を惹いたのはゴッホの「あざみ」。ゴッホにこんな素晴らしい絵があることを知らなかった。あるいは複製画では気づかなかった美しさなのかも知れない。ガラス工芸の部屋では、エミール・ガレのコレクションが充実。しかし、目を奪われたのはルイス・C.・ティファニーのガラス作品。ぜひとも「お持ち帰り」したかった。
 意外にも面白かったのが「化粧道具」の部屋。調香台(1960年頃にポーラ化粧品で実際に使われていたもの)の機能美や世界の香水瓶のデザイン性の高さは目を見張るものがあった。
 これはカミさんと“たろ”を連れてもう一度来なければならない。

 チェックインの時刻が近づいたので、ポーラ美術館を後にして対星館のモノレール乗り場に向かう。
 予約した宿、対星館は入り口こそ宮の下にあるが、堂ケ島温泉という宮の下から100m以上(たぶん)下ったところにある源泉を引く老舗の温泉宿。
 モノレールは対星館専用のもので、軌道の全長は300m、車両定員20名という本格的なもの。宮の下駅から堂ケ島駅まで6分かかる。
 堂ケ島の駅舎を出て、さらに遊歩道をあるいて川を渡る。モリアキ翁はここでもクルマ椅子をお借りした。川は昨日の雨で増水して激流のような音を立てて流れている。流れが穏やかならば、自然の螢を見られるということだったが、それは叶わなかった。
 源泉掛け流しにこだわって選んだ宿なので、モリアキ翁(以下、監督)のために専用温泉付きの部屋を予約した。なぜなら箱根の宿は斜面に建つケースが多く、館内は階段が多いからだ。
 泉質は無色透明の弱食塩泉。源泉の温度は71.7度(記憶が正しければ)。妹夫婦が大浴場に行っている間、父の入浴を介助。その後、義理の弟のT君(以下教授)が戻ってきたところで、私が大浴場へ。行ってみると、広大な岩風呂に私ひとり、露天風呂に一人いたが、貸し切り状態。いやあ、天国のような快適さだ。
 部屋に戻ると、ほどなく夕食。詳細は省くが、使われている食材がとてもよく、どれも美味しくて満足。
 食後は、4人でワールドカップ対オランダ戦観戦。1-0で負けてしまったが善戦。
 11時過ぎには布団に入る。監督(教授が「お父さんは新藤兼人監督に似ている」と言ったので)は早くも眠ってしまった。こんな早い時刻に眠れるとは思わなかったが、とにかく布団に入って「ウラノメトリア」の今後のプランニングについて思いを巡らせよう、としているうちに眠ってしまった。

6月20日(日)

 一度、早朝4時に目覚めたが、珍しく二度寝して六時過ぎまで眠る。たぶん6時間くらい眠ったのだろう。快適な目覚め。朝食をとって(お代わりしてしまった)、一休みしてからチェックアウト。これから川崎駅にほど近いホールで開かれる岳清流日本吟院の年次全国大会に父を連れていく。父は詩吟歴40年のベテラン。93歳になる家元やお世話になった方々に、どうしても挨拶したいという。詩吟の大会への参加もこれが最後となる可能性が高いので、父の願いを叶えるべく私と妹夫婦が力を合わせているのだ。(などと言いながら、今回の旅行の費用のほとんどは父の年金から出ている。子どもたちの、なんという不甲斐なさ)
 昼頃に会場に到着し、父は会いたかった、あるいは会うべき全ての人との再会を果たした。ホールのどこを歩いても、いろいろな人から声をかけられる。父は満面の笑みを浮かべて一人一人に答える。そうか、ここは父の大切な居場所なのだと思った。
 その後、ホール近くの蕎麦屋で昨日のリベンジ(雪辱戦)。今度は合格。“監督”も「この店の蕎麦はうまいね」とご満悦。“教授”が注文したきしめんも合格。きしめんには、ちょっとうるさい三枝君もきっと合格を出すことだろう。
 帰路も道路は空いていて、3時には帰宅。妹夫婦を自宅まで送ってから、カミさんと新しい霊園へ。昨日、墓石(ぼせき)の移動を終えましたという連絡があったということなので、その確認。
 片道およそ15分。今日はどこも道路が空いている。半世紀近くを経た墓石だが、表面が磨かれて新品同様につやつやと輝いていた。これで、母にも少しは親孝行できただろうか。
 夕食の食材などを買い求めて帰宅。夕食後には、この2日間に浮かんだ2台ピアノ・ソナタのアイディアをスコアに書き込んだ。だからまだ「スコラ 音楽の学校」の録画を観ていない。たくさん眠ってしまったので、今日は眠れる気がしない。これからスコラを観て眠ればよいだけのことだ。