7月25日(日)

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 今日も猛暑日埼玉市観測点は14時07分に35.8度。岐阜県多治見観測点では15時25分に38.6度を記録。
 今日は睡眠時間が短かったので日中は不調。午後に調律を微調整して録音しようと思ったら雷鳴。夕方まで待って4曲を弾いて、そのままウラノメトリアブログにアップロード。
 その際「ポロネーズ風に」の初稿を発見。日付は2001年になっていた。それから、第3巻αあたりに収録しようと思っていた「振り子のように」という曲の楽譜データが見当たらなくなっていることに気づいてハードディスクに検索をかけたが発見できなかった。ユーディット1(1代まえのPCの愛称)の起動しないハードディスクに眠っているのかもしれない。
 
 話題は飛ぶが、ブログ市長として知られる阿久根市竹原信一市長に対して、県知事をはじめ、いろいろな人が批判的な発言をして、それが報道されている。
 前もってお断りしておくと、私は竹原市長の味方でも敵でもない。強いて言うなら少しだけ味方。
 実は竹原市長のブログをこの1年ずっと読んできた。そして分かったことは、彼に対する批判の多くが的外れであるということ。私は竹原市長が正しいと言っているのではない。彼に対する批判がまるで的外れであることを言っている。おそらく、批判する人たちは竹原ブログを読むこともなく、自らが先入観によって作り上げた竹原像に対して批判してしまっているように思われるのだ。そういう批判を読むたびに、そういう人たちを高い地位につけておくのは危ないと感じてしまう。つまり、彼らは事実認識能力の低さを世界に向かって発信してしまっているのだ。
 誤解されているのは竹原市長だけではない。民主党の小沢氏(実際に帳簿が公開されて不起訴が決まったのにまだ蒸し返されている不自然さ)も、痴漢問題(冤罪の可能性を考えたほうが合理的)で抹殺されてしまった植草一秀氏も、多くの人々は報道を無批判に信じてしまっているように見えてならない。くどいようだが、私は小沢氏が全て正しいと言っているのではなく、問題となっている帳簿の記載について、植草氏については、痴漢問題が冤罪であることの合理性について問いかけている。
 20代の頃「デマの心理学」(岩波書店)という本を読んで、情報伝達の危うさを知った。以下の例は、この書物とは関係ないので念のため。

熊「どうしてAさんは夏でも長袖を着ているんだろう?」
虎「さあね。腕に痣でもあるんじゃないか?」

<別場面で>
熊「虎さんがね、Aさんの腕には痣があるって言ってたよ。本当だよ、言ってたよ」
八「へえ、Aさんはそれで夏でも長袖着てるんだねえ。オレはやっと納得したよ」

 全ての情報は検証されなければ、ただのうわさ話に過ぎない。それは報道だけではなく、学問でも芸術でも同じことだ。

 泥棒が捕まったとする。犯人は男。彼は動機について「所持金が底をついたから」と言ったとする。実は、彼は勤勉で働き者だったが、勤め先の倒産で職を失った。その後の熱心な就職活動にも関わらず次の勤め先が見つからなかった。ついに生活保護を申請するに至ったが、生活保護費が支給される前に命の危険を感じるほどの飢餓感に襲われたとする。
 彼は法を犯したので間違いなく犯罪者だけれど、悪い人間だろうか。政治家の怠慢が不況を招いたとしたら、政治家は責任を問われることはないのだろうか。どの深さで判断するかによって、この泥棒の裁き方は変わってくることだろう。もし私が裁判員に選ばれたら悩むであろうことは間違いない。

 消費税問題も、なんの検証もなく10パーセント問題が登場した。そこで次の説はどうか。

 「消費税を10パーセントに上げて、人々の消費行動が今と変わらないと仮定しても税収は12兆円増えるだけだが、デフレ問題を解消すれば税収はそれを上回る可能性が高い。税収が上回るだけではなく、人々の所得も増えるのだから、そのほうが健全だ」

 さて、上記の怪しい理論は素人の私が勝手に考えたものだが、あなたはどのように思うか。もちろん、真の専門家による検証を知りたいことだろう。ここで真の専門家と書いたのは、誰かに都合のよい結論を出す「御用専門家」ではない人を指すためだ。私たちが求めているのは信頼できる情報である。日本の借金問題は本当に危機的なのか、であるとか、社会保証制度は将来にわたって機能するのか、という問題は本当に知りたいもののひとつだ。最終的には、自分自身が勉強して答えを見つけるしかないのだが、そのために、まずは信頼できるデータだけでも欲しい。(経済学者たちは、複雑化した現在のグローバルな金融と経済に困惑しているように見える)

 ガリレオ・ガリレイの時代には地動説を唱えただけで火刑に処されそうになるほど、事実に重みがなかった。しかし、その状況は今もそれほど変わっていないように思えてならない。事実ではないことを信じるのが「迷信」。ならば、世界は迷信で満ちあふれていないだろうか。

 今日はフェルディナント・バイエルの誕生日。「バイエルはつまらない」と言っている人は、自分の下手さに思い至ることなくバイエルに責任転嫁していることに気づいていないのと同じだ。
 真実は「バイエルはつまらないと言う人の弾くバイエルは例外なくつまらない」である。