8月29日(日)

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 今日はウラノメトリア3βの勝負の日だというのに明け方4時になっても眠くならず、睡眠時間が2時間強となってしまった。もともとショートスリーパーだから3〜4時間眠れば普通に一日を過ごせるものの、30分の睡眠時間の不足が非常に大きな意味を持ってくる。というわけで、今日はケフェウスにかかりきりだったのに5時間を費してもなお、終わらず。もっとも、昨日までに他の曲の大部分を終わらせているので、明日の臨時編集会議には間に合いそうだけれど、作業中ぼんやりしていたから心配だ。
 讀売新聞のサイトを見ていたら、人生案内のページに「大好きな歌手の死 毎日涙」という見出しがあった。相談内容は「その歌手を心の支えに生きてきたのに、これからどうすればよいでしょうか」というような内容。これはすごい。歌手として、これ以上すごい仕事はないだろう。誰だが知らないが、最高の歌手だ。音楽家はみな、こういうことを成し遂げたいと思っているのだ。ただし、生身の人間ではなく作品においてだが。
 もし、私の曲を心の支えにしてくださる方が現れたら、大嫌いなヒコーキに乗ってもよい。ヒコーキの中で「降ろせ降ろせ」と喉をかきむしりながら暴れるかも知れないけれど、南極でもどこでも行ってやるぞ。
 
 午前中はナナちゃんのレッスン。将来、ナナちゃんが(ナナちゃんに限らないけれども)自分の言葉でベートーヴェンがどのような作曲家であるかを言えるようになったら、私の仕事は成功したことになる。ベートーヴェン音楽史における源流のひとつで、そこから数えきれないくらいの支流が流れ出している。支流にいくら水を取られても、なお水量が減らないところがベートーヴェンベートーヴェンたる所以だ。ベートーヴェンの略歴には、源流たる理由は一語たりとも出てこない。しばしば、楽譜やプログラムに音楽家の経歴が書かれているが、その内容が凄ければ凄いほど、その著書や作品との落差に驚くことになる。「凄い経歴」よりも「凄い仕事」をするほうが重要だ。ベートーヴェンに経歴は必要ない。