11月1日(月)

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 今日の「増殖する俳句歳時記(以下「増俳」)」に

 蓑虫を無職と思う黙礼す 金原まさ子

 という句があった。もうずっと前、学校の教諭の職を辞して無職となった時(現在も実態は無職だけれど)、渋谷で何かのアンケートに呼び止められて職業を訊ねられ「無職」と答えたら「え?」というような反応だった。当時はまだバブルが弾ける直前だったので、人手不足も甚だしく、人手不足倒産などというものがあったのだ。だから1990年頃には正社員の割合が非常に高かったのだろう。
 学校の教諭というのやりがいのある仕事でとても充実していたのだが、自分の力で生きていけるようになるというのも、なかなか得難い体験だった。
 座右の銘を問われれば、即座に「人に仕えず、人を使わず」と答える。これはどこにも勤めない、決して人にはやってもらわないという意味ではない。
 上司の考えに従うのではなく、やるべき仕事をやる。上司に逆らうという意味ではなく、せっかく頭脳が2つあるのだから2つ使うということだ。だから、だれかに何かを頼む時には、その人のやり方でやってもらったほうが良い結果になるはずだ。
 昨深夜、大学ロボコンの様子を伝える番組の再放送があったので、寝不足でクタクタなのに観てしまった。東京大学チームのリーダーが、まさにその座右の銘のとおりだった。各メンバーが担当する内容について詳細な説明は受けるけれども指示はしないという方針を貫いていた。準決勝(?)で金沢工業大学に破れはしたものの、素晴らしい戦いだった(世界大会の様子は11月3日の午前9時から放送。もちろん録画予約済み)。
 作曲も同じだ。クライアントから条件は突きつけられても、どのような曲を書くのかは全て作曲家にかかっている。もしクライアントが極限まで詳細な説明をすると、すでに曲が出来上がっていることになるから、それはあり得ない。つまり、作曲家はクライアントの想像力を超えたところで仕事をしなければならないということだ。
 本当は誰もが、人々の想像力を超えるところで何かしらできるのだと思うが、少なくとも学校では、そのような教育は行われていない。
 たとえば数学の授業で、先に解き方を説明して問題をやらせるのではなく、生徒たちに解法を考えさせるようにすれば少しは変わってくるだろう。理科ならば、地球が球体である身近な証拠を挙げさせるなどしたらどうだろうか。
 話は戻るが、ロボコンも似たところがある。他チームの想像力を超えるところで仕事をしたチームが勝利するのだ。

 今日は、来年秋の「(仮)全・野村茎一コンサート」のための「フルートとピアノのための○○○(タイトル未定)」を書き上げた。2000年に書いた「アルトサクソフォーンとピアノのためのソナタ」の第3楽章をフルート用にトランスクリプションしたものだが、これも想像力を超えた仕事を目指したものだった。きっと理解され、好まれると期待している。