11月5日(金)

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 菅総理大臣が「魂も心もない原稿を官僚に作成させ、読むのはやめないか」というみんなの党江口克彦氏からの問いかけに対して「私も本当にやめたい」と答えたそうだ。ならば、一歩踏み込んで「つまり、いま我々がやっていることは茶番に過ぎないということだ。党を超えてこの国の行く末を論じようではないか」と呼びかけたら面白かったことだろう。
 初めての事業仕分けの時、自民党河野太郎議員(たぶん)が仕分け会場で「どうしてオレがあそこにいないんだ」と言っていたが、民主党は懐の深いところを見せて、彼を仕分け人に誘うという手もあった。
 今の日本の外交を左右しているのは民主党自身の考えではなく、国会や委員会の答弁での他党に取られた言質(げんち)ではないのだろうか。
 尖閣諸島で起こった海保の巡視船と中国漁船の衝突事件ビデオの流出は誰にも防げなかったに違いない。情報を手にした人間が一人たりとも長期間にわたって気の迷いも起こさず、義憤ももたずにいるということ自体があり得ないし、一度流出した情報は際限なくコピーされて増殖していく。ウィキリークスアメリカ政府でさえ阻止できないのだから、ネットの実態に疎い日本政府(選挙におけるネット利用への考え方から判断して)ではなお難しいに違いない。そもそも隠しだてをするということは全世界を子ども扱いするということと同義だ。
 インターネットと携帯電話の誕生以来、社会の形そのものが大きく変化した。その実態は人々の考え方の変化だ。
 政治家が一般の人々に遅れをとっている。

 今日、レッスンにお見えになった高綱先生からレオン・フライシャーのコンサートがあることを教えていただいた。高校生くらいの時にレオン・フライシャーの演奏を録音で聴いたことがあったが、当時、すでに彼は難病でピアノ演奏を諦めなければならない状況だった。しかし、難病を克服してピアニストに復帰、彼はもう80歳を過ぎている。なんという強靱な、あるいはしなやかな精神力だろうか。