11月29日(月)

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 たいして眠っていないのにとても元気で困ったものだ。ランナーズ・ハイならぬ、コンポーザーズ・ハイだろうか。

 ちょっといいアイディアを10集めても、“ちょっといい” より良くなることはない。100集めても “凄い” アイディアひとつには勝てない。それどころか、ちょっといいアイディアが100も集まると誰も興味を示さなくなる。
 作曲で言えば、何のアイディアもないまま鍵盤上で指にアイディアを探らせるというのは、数億匹の気まぐれな猿にタイプライターを打たせてシェークスピアハムレット全文が打ち上がるのを待つようなものだ。100万年後に偶然ハムレットと同じ文を打ち上げる猿がいるが、惜しいことに最後のピリオドをqと打ってしまって、また100万年待たなければならなくなるのだ。最後から2文字までなら5万年に一度くらい到達するのだが、ようやく最後の文字が巡ってきた200万年後には最後のピリオドでセミコロンを打ってしまうかも知れない。
 つまり作曲は偶然であってはならず(ジョン・ケージを批判しているわけではない)、自分の思ったとおりに組み上げられていかなければならないということだ。
 アイザック・アシモフは、分子量5807のインスリンでさえ偶然によって合成されるには宇宙の年齢は若過ぎると書いているから、ずっと文字数の多いハムレットを猿が打ち上げるにはもっと長い時間が必要なことだろう。
 作曲家は自分が何を書きたいのかはっきりと意識している必要がある。それがないと、作品の質にバラつきが出てしまうことは間違いない。
 自分がやろうとしていること、自分がやらなければならないこと、自分がやりたいことを把握できたら、その時点で勝負がつく。

 

ウォーキングコースの夕陽と落ち葉