12月22日(水)冬至

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 たとえばリンゴひとつとっても、それはとても美しい。
 仮に想像上の果実や草花を描いたとして、自然の造形美に太刀打ちできるだろうか。
 音楽理論は自然美の再現のために存在すべきであって人間の勝手な都合のためにあってはならない。モーツァルトは緻密な部分動機作法によって一曲丸ごと同じDNAで作り上げて我々に提示した。生命のデザインの再現とも言える見事さが、そこにはあった。
 それに気づいた優れた作曲家たちは、その重要な点に学んで自作品に生かした。しかし、駄目な作曲家は音楽理論を自作品の言い訳とした。
 作曲していて、ひとたび迷うとすぐに屁理屈に頼ろうとする自分自身を発見して作業が止まる。

 午前中は父の定期通院の付き添い。動脈血酸素飽和度がいつもよりも少々低かった。モリアキ翁は、あと11日で92歳を迎える(戸籍上の誕生日は1月11日)。年齢を考えれば、認知症の兆候もなく簡単な家事や洗濯をこなす彼は充分に健康ではあるけれども、数ヵ月ごとに少しずつ衰えていく様子も窺えて気が気ではない。
 昨日、愛用の入れ歯が直ってきたので、今日ようやく好きなものを食べられるようになった。昼食のリクエストを訊ねると「なんでもいいよ」。これが一番難しい。
 午後に、今日発句(ほっく)した五つの句を披露してくれた。すべて亡き妻を詠んだもの。自分の気持ちを端的に表現できる俳人はいいな、と思った。

 小笠原諸島近海を震源とする地震が続いている。警告と受け止めて水と非常食のチェックをしなければ。