4月2日(土)

137363

 昨夜は寝そびれてしまって(いま思い返せば、花粉症で鼻詰まりを起こしていて窒息しそうだったからだ)、3時少し前くらいに布団から出てHDレコーダに録画されていた宮藤官九郎の「なくもんか」という映画を観てしまった。とても観たかったかと問われれば「そうでもない」と答えるしかないが、観始めたら最後まで観させる映画ではあった。いつだったか、同じようなシチュエーションで明け方に「深呼吸の必要」という映画も観たことを思い出した。
 土曜日はゴミ出しの日なので、朝早く目覚ましが鳴る。眠ってすぐに起こされた感じだった(実際そうなのだろう)。
 作曲工房から50mほどのところに「わらびりんご公園」ができた。蕨市の「りんご公園」ではない。「わらびりんご」という蕨市のリンゴ農家が開発した品種があり、その名を冠した蕨市立「わらびりんご」公園なのである。区画整理以前には、市内数十ヶ所に「ちびっこ公園」という遊休地を借り上げて整備された公園群があったのだが、区画整理で全て姿を消す代わりに今度は少し大きめの公園が整備された。
 なぜこんなことを書いているかというと、寝不足による集中力不足で作業が滞り、公園に行っていたからである。
 夕方には瞼を開けていられないほど眠くなったのだが、深夜になると睡魔はどこかに去ってしまうから困ったものだ。というわけで、つい先ほどまで、北野武の映画「アキレスと亀」を観ていた。北野武は天才的だと思った。誰かが全く同じ脚本で映画を撮っても、このレベルに仕上げるのは難しいだろう。
 主人公の真知寿(マチス)は画家で、才能は、あるようでいてないような微妙な設定。周囲からは理解されず、もちろん売れない。売れるか売れないかというのは難しい問題で、売れている人も売れない人もどちらも、その原因は誤解だったりする。

 もうひとつ映像の話題を思い出した。今日はNHKの朝ドラ「てっぱん」の最終回だった(「バクマン」の第1シリーズも終わった)。
 私は、朝の慌ただし時間帯に放映されている朝ドラを真面目に視聴している人は少ない(ひょっとしたら“いない”)のではないかと思っていたが、吉松隆さんがブログに「ゲゲゲの女房を観て、自分自身の売れない時代を思い出して泣けてきた」と書いていらしたの読んで「ゲゲゲの女房」を観始めたのだった。その勢いで「てっぱん」も観てしまった。半年間、かなり真面目な視聴者だったと思う。ヒロインが “たろ” と同じ名前だったことも影響したかも知れない。
 物語の成り立ち上、主人公はヒロインではなく、富司純子扮する下宿の大家のほう。極めて論理的な思考と判断力を持った「おばあさん」だった。一気にファンになってしまった。物語全体のテーマは家族と料理の2つ。
 絵画や音楽と同じように、料理も自然の理解だから人生への影響の大きさは侮れない。しかし、もう朝ドラは卒業するつもり。

 ドイツ気象庁による気象シミュレーションによると、明日あたり、ひょっとすると今日の午後あたりから関東地方および中部地方福島原発放射性物質が多量に飛来する可能性がある。対策は、いまのうちに水道水を汲み置きしておくこと。2リットルのペットボトル10本くらい用意して風向きが変わるのを待てばよい。水道水としてカランから出てくるまでのタイムラグは2〜4日くらい。水道水の汲み置きは、半減期の短いヨウ素131には有効策だ。

 モリアキ翁は早起きだから、そろそろ眠らないと、隣で寝ている私は眠る間もなく起こされてしまう時刻だ。すでに、頭は疲れてボーっとしているのだが、眠れるかどうかは別の問題。マイケル・ジャクソンも眠れずに辛い夜を過ごしていたということだ。ところが私は慣れっこになってしまて、危機感がまるでない。おそらく勤め人ではないからだろうが、眠れぬ夜は面白くない本だって読めてしまう貴重な時間だ。ニーチェだろうがハイデッガーだろうが選択肢に入ってくる(いや、この2人は面白いかも)。