5月4日(水)みどりの日

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 今日はカミさんと平塚市美術館で開かれている「画家たちの二十歳の原点」展に行って来た。
 そして、そこに集められた絵を描いた若者たちの志の高さと、その熱さに打ちのめされて帰ってきた。

天性ノ好ム処ニ基キ断然画業修業ト決心仕候 
黒田清輝

僕の希望は野蛮時代にかえる事ではなく、
新しき原始時代を始めることである。
〜中略〜 
僕は天才ではないかもしれない。それもいい。
僕はやりたい事の総てをなそうと努める。 
萬鐡五郎(よろず・てつごろう)

画家の眼はあくまでも鋭く明かでなければならぬ。
〜中略〜 
慾望に囚われず、感傷に堕せず、神経に乱されず、
人生を貫く宿命の中に、神の真意を洞察することが出来なくてはならぬ。 
中村彝(なかむら・つね)

全宇宙を一握する、是れ冩実
全宇宙を一口に飲む、是れ冩実
道ばた、ごみだめにころがっていてもはっきりと見える、
どんなにうたがって見てもそうとしか見えないのが藝術品、
ころがっていれば誰れの目にもとまらないもの、うたがえば無くなるもの、
額ぶちに入れてかざれば何か意味がつくというようなものは迷心品。
批評専門家は、多くは迷心におちいっている。
高島野十郎(たかしま・やじゅうろう)

〜前略〜
自分にとっては、淋しさも、苦しさも、力も、歓喜も倶に自分のこの孤独の道を切り進むことによって味い得る経験である。自分は淋しい時にも、元気な時にも、自分の力を本当に出して居るのである。
岸田劉生(きしだ・りゅうせい)

私は自分の爆発を感じる。
心の底から、何者かが今にも燃え上がりそうである。私という物に油が充満して居る。そしてもう溢れ出る、溢れて燃え上がりそうである。
自分に云う。ー私は堅固である。爆発しても好い。傍若無人になっても好い。回顧せずに、何所へでも行くが好い、其所が私の天地である、王国である、領土である。
凡ての自然は、重く強く私に迫ってくる、私の執る可き道は只進撃である、突破である、そして凱歌である。
木村荘八

〜前略〜
おれの持っているもの凡てをこの地上に叩きつけて死にたい。
おれから思考と躊躇との二つの大きな傷害を取りのけたい。
〜中略〜
おれはあと三十年生きるものなら三年でいい。
その三年で狂者のような生活を送ってとっととこの世界を去りたい。
若しこの地上に閃く魂を残せるなら
燃え狂う魂を漂わせることが出来るなら。
おれはその三年をも望むまい。
爆発するただ一瞬があればいい。
その一瞬でたくさんだ。
おれはおれの魂を爆発させたい。
林倭衛(はやし・しずえ)

とにかく雲が重く垂れ下がったような因習に我慢することができませんでした。・・・
嫁に行かない、と父に反抗した私は父にうんとこさ叱られました。
その仏間の大きな仏壇の引き出しの角に私の頭をガンガンぶつけて、
「この結納の品を、一体どうするんだ!!」と。
十六、七歳の頃のだったと思います。
桜井浜江

 絵とともに、若かった画家たちの言葉が掲げられている。何十人分も。いちいち叱られたような気分で読み進んだ。
 どの絵も迫りくるものがあったが、筧忠治(かけひ・ちゅうじ)の「男の顔」は圧倒的だった。
 もうひとり、初めて聞く野村昭嘉(のむら・あきよし)という1964年生まれの画家の絵が印象的だった。帰宅後に調べてみると、マンガ家の西原理恵子さんの友人で、1991年に、バランスを崩した100トンの杭打ち機がアパートの自室を直撃して急逝したとのこと。このニュースを記憶していただけに、それがこの偉大な画家(当時は単なるフリーターと思われていた)だったのかと思うと、惜しい気持ちで一杯になった。
 石田徹也山口晃会田誠という新世代の画家たちの作品と言葉も興味ぶかいものだった。