6月4日(土)

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 ファゴットソナタ(正しくは「Sonata for Fagotto and Piano」)の第4楽章脱稿。この曲は中毒性が高くて、何度も再生して聴いてしまう。自分で書いて自分で中毒しているので、これも「自家中毒」というのだろうか。
 バッハの例を考えると、作曲家が真の理解者と出会う可能性はそれほど高くないのかも知れない。バッハに理解者が現れたのは20世紀に入ってからだろう。
 バッハ作品が時間を超えて理解者に巡り合えたのは、その作品が必要にして充分なだけ人々に好まれたからと言える。バッハ作品を好む人々がバッハの理解者であるとは限らない。それはピアノ演奏を巧みにこなす人が、音楽を理解しているとは限らないのと同じだ。
 理解者に出会える確率が低いのならば、せめて人々に好まれて後世まで伝えられるような資質は音楽に欠かせないことになる。長く演奏されて時代を生き伸びていけば、それだけ理解者に出会える確率が高くなるからだ。
 
 

武田邦彦先生の日記。

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