7月3日(日)

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 昨夜は早く寝ようなどと書いてPCを落としたのだが、リビングに降りて行ってから“たろ”と話し込んでしまって(マンガの話)、3時を過ぎてからようやくシャワールームに。結局寝たのは明るくなった午前4時。目覚めたのは7時。結局いつもどおりだった。
 こんなことではいかん、と思ったのだけれどまたまた遅くなりそうな気配だ。時間が来たら就寝圧力がかかるようなタイムテーブルを作るしかない。
 今日は午前・午後とレッスン。午後には“ちびまゆママ”(もう、ぜんぜん“ちびまゆ”ではないけれど)からツェルニーの「ピアノ演奏の基礎」を見せていただく(私も注文してあるけれどまだ届いていない)。
 この本によって、いかにツェルニーが曲解されてきたかが明らかになることだろう。しかし、因習から抜け出すのは大変なことで、バイエルやツェルニーの練習曲を無味乾燥と思っている人は、それが作曲者のせいではなく、自分自身の演奏にあることを一朝一夕に認めようとはしないだろう。翻訳者の岡田暁生さんに感謝。
 夕方からは、“たろ”と友人の“げっちゃん”の2人が自分たちの誕生日を祝うために大量の料理とケーキを作った。キッチンは火事場のような騒ぎだった。
 6人のために用意されたご馳走は優に10人前を超えていただろう。メインディッシュはボリュームたっぷりの「鶏のソテー」、サラダは「ポテトとさらしタマネギ」のバルサミコドレッシング。そこに「むきえびとアボカドのサラダ風ごはん」(正式な料理名は知らない)、さらに「めんたいこと生クリームのスパゲティ」がどちらも大きな器で供された。冷やしたワインも出てきたけれど、それは私のコレクション一本で、飲むためのものではなく(そもそも賞味期限が切れている)単なる記念のワインだったのでハズレ。食後に、彼女たちの手作り「いちごとブルーベリーのケーキ」が登場したものの、もう全員満腹で、映画(ナイト&デイ)を一本みてから食べた。
 日頃の食器類はほとんどコーニング社のコレールなのだが(安くて洗いやすく、保管場所もとらず、落としても割れにくい)、特別な日にはMIKASAの器が並ぶ。料理に凝っていた20年くらい前に集めたものだが、急に思い立って検索してみると、アウトレットショップでMIKASAの27センチディナープレートがシンプルなデザインのものながら945円で売られていた。良い時代になったものだ。これなら少しずつ買いためていけばMIKASAのコレクションができるではないか。問題は気に入ったデザインのものを探す労力だろう。
 子どもが大きくなるというのもいいものだ。
 しかし、よくよく考えてみると、子どもたちが小さかった時の誕生日が、そのままコピーされて再現された誕生パーティーだった。見て育ったものを覚えるということは、当たり前だけれど、親のちょっとダメだったところも再現されるのかと思うと子育ては怖いところもあるぞと感じた次第。
 わっ、もうこんな時刻だ。はやく寝なければ。

 
>ご存知の方も多いと思うけれど、まだご覧になっていない方のために。松本復興相が宮城県知事と会談した時のニュース映像。自分の下品さに気づかぬ松本復興相が哀れになるような映像。これ以上書かないけれど、こういう人を大臣にしておくのも我々国民に責任の一端がある。

松本復興相、宮城県知事と会談