7月10日(日)

170917


 9時57分頃、三陸沖でM7.1(後に7.3に修正)の地震が発生、津波警報と注意報が発令された。そのためNHK-FMの名演奏ライブラリーは中断されたままとなった。福島第1原発4号機傾斜問題が気になる。

 午前中はモリアキ翁をいつもの理容店に送り届け、それから市内の呉服店に行って、妹から借りた振り袖の洗い張りを依頼。そのまま、ホームセンターに立ち寄って農業用のネット(緑色のよくあるネット)1.8m×20mと耐荷重30kgの細めのロープを100m買って帰宅。
 東側壁面が日陰になる午後を待って、長男の“風”と作業開始。
 最初に1.8m幅のネットをロープで編むようにしてつないで、7.2m×10mの大きなネットを作った。この工程は思った以上にやっかいで、延々と細かい手作業を続けて3時間弱を費やしてようやく完成。
 しかし、本当に問題なのはここからだった。私が3階屋上に行き、ロープを垂らして、そこに風がネットをつないだら引き上げるという計画。まず、作曲工房には本来の屋上はない。ソーラーパネルのメンテナンスのために、3Fサービスバルコニーから専用のはしごが設置されているだけだ。サービスバルコニーもエアコンの室外機を設置するためだけに作られたもので、窓から出入りしなければならない。
 で、そのハシゴを昇り始めてすぐに後悔した。高いところは苦手なのだ。怖すぎる。こういう環境を仕事場としている人がいることを考えると、ピアニストやスポーツ選手と同じくらいすごいことだと心底思った。
 無限とも思えるほどの時間をかけて(客観時間は、たぶん1分くらい)屋上に上がったのはいいが、屋上にへばりついたまま立ち上がれない。主観時間で30分(客観時間10分くらい)かけて、ようやく風が待機している道路を見下ろして、目眩が・・・。ラプンツェルは平気だったのだろうか。
 以下大部分を省略するけれども、ネットがからまりあったり、5本ある縦ロープの並び順が全く分からなくなったりとパニくりながら、ロープをテキトーにソーラーパネルのアングルにつないだ。
 しかし、屋上から降りられないのだ。昇るときは上しか見なかったから、まだなんとかなったのだろう。きちんと固定されたハシゴではあっても、手を離したら転落必至と思っただけで、手も足も動かない。ソーラーパネルを屋根と考えれば、屋上で暮らせるのではないかなどと、チラッと考えたりしながら、だんだん暮れていく空を眺めてしばし過ごした。
 テレポートも試してみたが、全然ダメそうなので(本当に試してみた)、意を決してハシゴを抱きしめながら、可能な限り速く(慎重さなど微塵もなく)サービスバルコニーに降り立った。
 道路に立って作曲工房東側壁面を覆い尽くす農業用ネットを見上げると、ようやく達成感がこみ上げてきた。

「うん、これでゴーヤが800kg実っても大丈夫だな」
「ロープの耐荷重は30kgかける5本、そこにネットの強度を加えても800kgは無理だよ、とむりん」
「そ、そうか(あんまり真面目に答えるなよ・・)」
「遮光ネットはどうする?」
「後は明日以降だ。もう動けん」

 2人とも身体中の水分が抜けてしまって(もちろん、途中で補給したけれど)、人はこんなに飲めるのかと思うほど飲みまくった。
 
 夜、FMシンフォニーホールでプロコフィエフの「交響曲第5番」を聴く。その前に同じくプロコの「交響曲第7番」を聴いていた(7番はお気に入り)。9時からのN響アワーがプロコの「ピアノ協奏曲第2番」と「ヴァイオリン協奏曲第2番」というすごい組み合わせなのでテレビの前に移動。ピアノのアレクサンダー・ガヴリリュクは2000年浜コン(浜松国際ピアノコンクール)の覇者。神尾真由子さんは説明の必要もない天才ヴァイオリニストだ。
 ソリストのインタビューが興味深かった。ガヴリリュクは技術と表現のバランスについて述べ、神尾真由子は表情だけで天才を語っていた(言葉では、プロコのヴァイオリン協奏曲第2番は中学生の時から弾いているがパガニーニよりも弾きにくい。しかし、とても好きな曲だ)。
 指揮はアシュケナージアシュケナージ自身、若い頃にプロコ2を弾いており、当時はほかに録音がなかったので、私はずっとアシュケナージの演奏(アンドレ.プレヴィン指揮 / ロンドン響)を聴いていた。カセットテープがワカメになるまで聴いた。だからアシュケナージが指揮に回った今日の演奏はとても楽しみだった。
 開始はアシュケナージ盤とほぼ同じテンポ。第1主題はユンディ・リに近い弾き方。第2主題はテンポが上がってきびきびとした印象。このあたりは私が知っているどの演奏とも異なっていた。第2主題が終わって再び第1主題が戻ってきたあたりから演奏にのめり込んできたのか熱演となった。荒れていない時のベレゾフスキーという印象(あの超人ベレゾフスキーにも荒れたり荒れなかったりがある)。しかし、アクションはどんどん大きくなって、身体は前のめりになったかと思うと後ろにのけぞって汗が飛び散る。ユジャ・ワンは何でもないように弾くが、ガヴリリュクはパフォーマーだ。聴衆たちは、いま眼前で繰り広げられていることがなんだかもの凄いことであるように思ったことだろう(実際、ものすごい曲でもの凄い演奏だ)。永遠に続くかと思うような長い超絶ソロの後、冒頭の部分動機がオケ主題として回帰するところでは、時としてオケが遅れたりするのだが、アシュケナージは厳しくN響を統率して引っ張っていった。同じN響でもシャルル・デュトワはこの部分で大失態をやらかしている(ソロはユジャ・ワン。名演奏だけに惜しい)。
 時間の関係で超絶技巧の第2楽章は割愛(ガヴリリュクの演奏で聴いてみたかった)、第3楽章も名曲だ。オケがメロディーを担当してピアノが装飾的なパッセージを弾く部分がプロコフィエフの本領発揮というところだろう。ピアノとオケの両方に高い技巧を要求する第4楽章は、プロコフィエフがロシア人であることを強く感じさせる楽章。いくつも登場する民謡風の旋律ではガヴリリュクの歌心が聴こえてくるようだった。
 演奏後の西村朗さんのコメントは演奏前とニュアンスがかなり変わっていた。彼もこの曲のすごさに今更ながら気づいたのかも知れない。ヴァイオリン協奏曲が終わってからのコメントでは「プロコフィエフには、まだまだ評価されていない曲がこれから出てくるかも知れない」というような発言をしておられた。
 ヴァイオリン協奏曲は残念なことに第1楽章が割愛されてしまった。あのシンプルで美しい第2楽章は削れないし、第2楽章で終わる訳にもいかないという事情だろう。
 日本には天才と言っても過言ではないヴァイオリニストが何人もいる。諏訪内晶子庄司紗矢香五嶋みどり、そして今夜の神尾真由子など、まだまだ名前を挙げていけばきりがないほどだ(女性ばかり挙げてしまった)。ヴァイオリンという楽器は、こういう演奏家を育てる楽器なのだろうと思う。気がついたらこんな時刻だ。2時間近く書いていた。
 今日は、これでおしまい。ヴァイオリンとヴァイオリニストについては、あらためて書きたい。