8月24日(水)

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 今日は長男の“風”が休日。それでモリアキ翁の昼食を任せて、池袋の栗原画廊へ。坂本景子さんのお嬢さん(日本画)のグループ展開催中。初めての画廊だけれど、立教大学と豊島税務署のすぐ近くなので土地鑑もあるしすぐに行けるだろうと思って出かけた。
 ところが、地図があってもすぐには辿り着けず、なんとなく入った路地沿いに発見。
 
 6人の作品が小さな一部屋のギャラリーに飾られていた。日本画という分類は絵画の種類ではなく、画材による分類。つまり題材は自由で、昔ながらの日本画はとても少なくなってきている。しかし、日本画科の学生は伝統的にデッサン技術が高く、具象画が多くなる傾向にある。現代美術の展覧会に行って「訳が分からん」という人は日本画を見に行けばそういうことは少ないだろう。
 当番でギャラリーにいた学生2人にそれぞれのこだわりを訊ねてみた。その絵に対する思いを語ってくれたので、なるほどと思いながら鑑賞してきたけれど、絵に向かう姿勢は、まだ模索中という印象の2人だった。
 日本画には大家が数多くいて、横山操の「雪富士」や福田平八郎の「漣(さざなみ)」の前に立った時には固まってしまったものだけれど、いま思い出したのは宮𢌞正明「水花火」、佐藤宏三「清水寺」が強烈だったことだ。古くは伊藤若冲から最近の田中一村まで、とくに写実タイプの日本画は世界美術史レベルと言ってもいいだろう。
 かつて浮世絵がヨーロッパに衝撃を与えたように、近代・現代の日本画が世界の美術界に影響を与えたりはしないのだろうか。

 最近、“風”だけではなく、“たろ”も料理をするようになって、昼食も夕食も一言たのめば作ってくれるので、カミさんと私は、とても楽になった。料理を始めたばかりの“たろ”は、まだレパートリーも少ないがウェブ上でレシピを拾っては、その通りに作るので失敗も少ない。
 彼らが自立して暮らせるまでは気を抜けないが、日常の生活技術を身につければ子育ては終わったと言ってもよいだろう。
 終わりだおわり、子育てはおしまい。もう宣言したぞ。


 画廊近くの風景