10月26日(水)

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 今日は東京で「木枯らし1号」が吹いた。昨年も10月26日ということだ。
 午前中にレッスンがあったので、午後一番(3時)でモリアキ翁の定期通院に付き添った。予想以上の混雑で、持っていった「中村久子自伝」を、ほぼ読了してしまった。
 中村久子は、幼くして(3歳)四肢の切断を余儀なくされた人で、・・ああ、だめだ。これ以上書けない。待合室でも涙を拭いながら読まなければならなかった。歳をとると涙もろくなるのだ。悲劇だからではない。彼女があまりに誇り高いからだ。「いかなる人生にも絶望はない」という彼女の言葉は、最初から彼女にあったものではない。彼女の生き様がその言葉を生んだ。
 彼女は多くの大切な人たちと死別した。医療が発達していないとか、誰もが公平に医療を受けることができない、あるいは当時の生活が危険に満ちていたなどの理由で、人々はあっけなく死んでいく。人々の人生観や死生観も、当然のことながら現代とは大きく異なる。そういうことは知っているつもりだった。明治の文豪たちの小説を読んでも、あるいは時代を遡って、江戸期、安土桃山期、鎌倉室町期、平安期の死生観にも出会ってきたはずだった。
 しかし、今回は知識としてではなく、皮膚感覚で死生観が伝わってきた。
 今を生きる我々から見ると、当時の人々が愚かに見えるところもあるが、むしろ、当時の人々が我々を見ると愚かに見えることのほうが多いかも知れない。
 久子は関東大震災に遭い、それを乗り越える。それが東北大震災と重なって、余計に人ごとには感じられなかったのだろう。
 「お前は誇り高いか?」と自問自答せずにはいられなかった。
 数日前に読んだ、茂木健一郎さんの「僕たちは美しく生きていけるのだろうか。」に感動していたのだが、一気に霞んでしまった感がある(それでも、ぜひお薦めします。冒頭の「赤毛のアン」のエピソードから引きこまれます)。

 また眠れなくなりそうだ。