11月5日(土)

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 カミさんは風邪が治らず、仕事から帰ってきてダウン。彼女は最近調子が悪い。
 おかげで私は、かなり長いこと一日3食の炊事に関わっている。レパートリーも増えて少しは料理上手になったかも知れない。

 今日はレッスンでソラブジ(カイホスルー・シャプルジ・ソラブジ:1892-1988:イギリスの作曲家)に言及する機会があった。ソラブジは極めて特異な作曲家で、今でこそYoutubeなどですぐに聴くことができるが、昔は情報が少なくて謎だらけだった。ネット社会はありがたいものだ。だからといって、そんな簡単にソラブジのことが分かるわけではない。
 何をもって「分かる」というのかは定義が難しいが、完全な理解は神以外にはあり得ないから、最低ラインはソラブジの未聴曲をソラブジの作品であると分かることだろう。
 その時、我々は音楽のどの部分を聴いているのか。
 たとえばリストの「スケルツォとワルツ」を楽譜とともに聴くと、そこにプロコフィエフへ強い影響を与えたのではないかという考えが浮かぶ。実際、そうとしか思えない。プロコフィエフピアノソナタ第7番第3楽章を聴くと、プロコがリストのみならず、バルトークからも強い影響を受けたことを感じずにはいられない。しかし、プロコフィエフは極めて独創的でオリジナリティに溢れているから、この3人を混同することはない。
 音楽を聴くという行為には、そこから、そのようなオリジナリティを見出すということが含まれていることは間違いないだろう。そして、作曲家のオリジナリティだけではなく、その曲自体を他の曲と区別させているオリジナリティも同時に聴いていることも確かだろう。
 ということは、作曲家が新しい曲を着想した時には、そのアイディアが、この2つの条件を満たしているかどうかちょっとだけ考える必要があるということだ。
 ベートーヴェンのように1曲1曲を「書き尽くす」タイプでないと、2番煎じを書いてしまう可能性もあるから、なおさらのことだ。
 
 なぜこのようなことを書いたかというと、そうではない曲が溢れているからだ。私自身のスケッチ帳にもだ(新しい曲のアイディアを書きつけておく五線ノートのこと。お絵かき帳ではない)。
 
 明日は三枝くん編曲による2台ピアノ版「くるみ割り人形」が演奏されるコンサートが、午後2時半から武蔵境駅前のウィングホール(だったと思うが)で開かれる。ぜひ行くつもりだけれど、カミさんの具合次第では家にいなければならないかも知れない。
 外は雨だ。明日も雨だろうか。

 そうだ。今日はずっと課題となっていたピアノトリオの楽譜を書き上げたのだった。とてもよい仕上がりだと思う。早く聴きたい。

原子力資料情報室にある「カリウム40」の説明。半減期12.8億年。気が遠くなる長さだ。成人の体内にあるカリウム40は140グラムにもなり、その放射能強度は4000ベクレルにも達する。だからといって、原発由来の放射性核種を体内に取り込んでいいわけはない。地球上の生物はカリウム40と一緒に進化してきたのだから、それは特別。子どもたちを被曝から守るためにも、こういう小さな知識を積み重ねたい。

カリウム-40