11月9日(水)インフルエンザ予防接種

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 モリアキ翁の義歯の調子が悪く、朝食後一番で歯科医に。
 その後、いつもの内科クリニックへ定期通院。今日はインフルエンザの予防接種を受けた。もちろん、私も受けないと意味がない。モリアキ翁を守るためだ。次の通院は3週間後になるので、薬代も含めてかなり高額となった。次回はモリアキ翁の血液検査。

 今日は11月19日の「作曲者による楽曲解説」原稿書き。
 一言一句無駄にはできない。意味のない言葉が聴衆から意味ある言葉を奪うかも知れないからだ。大げさに書かせてもらえば「そう、これを知るために生きてきた」と思ってもらえるような内容を目指す(もちろん無理なのは分かっている。志を書いたまで)。
 ユーモアを交えなければ面白くないなどという戯言は全く信じていない。味付けが必要だとしたら、素材が悪いだけだ。と、書いたものの、今日仕上がった部分を読み返すと、まるで望んだようにはなっていない。しかし、まだ時間はある。全ては私の本気の度合いで決まるだろう。

 レッスンでこんな話をしたことがある。

 戦国武将たちが、まだ忍者について認識が浅かった時代、とある武将が忍者を城へ呼んだ。武将は忍者に向かって尋ねた。

「お前は何ができる」
 すると忍者は、黙って畳のへりを歩いた。
「そんなことか」
 忍者は、ようやく口を開いた。
「このへりの両側が千尋の谷であろうと同じように歩いてみせます」

 後世になって誰かが作ったエピソードだとは思うけれど、あまりに的を射ているので気に入っている。
 アルゲリッチのようなピアニストは自宅の練習室とステージとの差がないのではないだろうか、と思うことがある。superであることとは特別なことではなく、できることはいつでもできるということなのではないだろうか。
 レオナルドは「天使は超能力で飛ぶのではなく、翼で飛ぶ」と考えた。この考え方ができるということがsuperだ。まさに千尋の谷に屹立する塀の上を涼しげに歩く忍者と同じだ。
 そう言えば、中島敦の「名人伝」に出てきた老名人も絶壁の縁にあるグラグラと揺れる岩の上で平常心のまま弓を引いた。
 

>何年か前に読んで、今でも強烈な印象が残っている「シャドウダイバー」のドキュメンタリー動画があることを知った。ジョン・チャタトンとリッチー・コーラーも本人が登場している。5分割されているようだが、Teil 3 が見つからない。ドイツ語なのも残念。読んでいない人には何のことやら分からなので、気にせずスルーしてください。リンクは Teil 1 のみ。

Tauchdokumentation U-Who U-869 mit Kohler Chatterton Teil 1