1月7日(土)

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 昨日はエネルギー切れで日記を切り上げてしまった。「人はなぜ老いるのか」という番組について一番書きたかったことは、難病の子どもを持った親が押しなべてすぐれた人格であることだ。普通の親よりも多くのことを、しかも深く考え、それを毎日実行しているからだろう。
 地下鉄サリン事件の被害者の会代表の高橋シズエさんのコメントを聞いて、大変感動したことがあるのだけれど、彼女も普通の主婦だったはずだ。事件と向き合ううちに、やはり多くの事を考え、いろいろな結論を持つに至ったのではないだろうか。北朝鮮拉致被害者の会の横田夫妻も、その一言一言に深さを感じる。逆に言えば事件の重さを感じずにはいられないということだ。
 事件に出会ったからといって全ての人が成長するとは思えないから、もともと優れた人たちであったに違いないのだが、事件はさらに彼らを一歩前進させずにはおかなったのだろう。
 今日の読売新聞第1面に「エンディングノート」に触れた記事があった。よくよく考えてみると、私はエンディングノートに書き残すようなことは何もないような気がした。この世に遺すのは作品だけでいい。遺すけれど、残るとは限らない。時代を超えるためには本物でなければならないからだ。本物を生むのは本物だけだから、まず自分自身を磨き続けることが必須。
 この世界は全てが神のメッセージであり、テキストだ。後は読み解くことができるかどうか(読み解く意志があるかどうか)にかかっている。

 明日は、ウラノメトリアの美術系チームの打ち合わせ。第4巻からは中級・上級者向けになってくる。今までのイメージを壊さずに上級者むけであることを表現できたら素晴らしい。
 曲のタイトルを検討する文学・詩人系チームが発生しないだろうか(たとえば水たまりから)。

 
南相馬市 大山こういちのブログから海外の報道。

専門医は黙して語らず