分かる、分からない

 中学生の頃、ティツィアーノとティントレットの区別もつかなかった。今ほどではないにせよ美術館に定期的に出かけて勉強していた時期なので、実物を見比べていたにもかかわらずの話である。当時は印象派などの比較的新しい画家たちに心奪われていたので、古い時代の画家にはそれほど興味がなかったということもあるだろうが、当時の私は一体なにを見ていたのだろうか。おそらく何(あるいは、どこ)を見ればよいのか分からなかったに違いない。つくづく馬鹿である。
 オランダにレンブラント調査委員会という組織がある。1968年以来、すでに40年にわたってレンブラント作品の「真作・摸作・贋作」の判定を行ってきた。レンブラントは、自らの工房の弟子たちに自作を模写させて修業させたので、摸作が数多く存在する。そして、実際にレンブラントの絵画制作を手伝うこともある弟子たちが描いた模写なので、時とともに、その技量は師に限りなく近づいてくる。レンブラント調査委員会は世界中に存在する500点以上の伝レンブラント作品の鑑定をずっと行なってきた。科学的な方法を用いた判定も併用するが、最後は鑑定する研究員の鑑識眼ということになる。今では、これは弟子のダウによる摸作である、などということまで分かるようになったという。
 “詳しい”ということは知識が豊富なのではなく、微小な差を見分ける力があるということであり、それを育てることが勉強であり修業となる。この短い一生の間に、我々はどれだけモノを見分けることができるようになるだろうか。ピアノを演奏する、あるいは作曲するということも、まさにそれに尽きるのではないか。