コロー展

 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796-1875)は、私が物心ついてから最初に心奪われた画家の一人である。中でも「モルトフォンテーヌの思い出」の複製画は、小学生の時から印刷が色あせるまで、勉強机の上の壁に掲げてあった。年の離れた姉が飾っていたのはカミーユピサロの「村の入り口」だったと思う。姉や当時同居していた叔父はバルビゾン派を好んでいたが、当時の私は断然コローだった。もう40年以上も前の話である。
 ここ数日、低血圧から来るのか少々だるさを感じていたのだが、31日で終わってしまうコロー展を見逃すわけにはいかないと自らに鞭打って(ちょっと大げさ)行って来た。上野までは乗り換えを含まずに22分。30分ちょっとで到着してしまうので、ちょこっと行けるロケーションである。
 埼京線の車中では、ここ数カ月、小林秀雄の「モオツァルト」を読むことにしている。だんだん分かってきたからだ。初めて読んだのはたぶん大学生の頃。あの頃はその文字を何と読むのかが分かった。その後10年くらいを経て、何が書いてあるのか分かるようになった。さらに10年くらいたって、著者が何を言いたいのかが分かってきた。最近は、著者が何を考えていたのかが朧げながら分かるような気がしてきた。小林秀雄はアンナ・マグダレーナが書いた「バッハの思い出」を名著だと断じている。中学生の時に初めて読んだ時には「バッハは美しい方でした」というような物言いに面食らったものだが、今では名著であることに同感である。あの書物は奇跡的な存在ですらあると思う。異論がある人は、初読から40年経ってからもう一度振りかえってみて欲しいものだ。
 11時過ぎに上野着。チケット売り場はガラガラ。内心「ラッキー!」。しかし、中へ入ると人でいっぱい。会期の終わり頃に空いていることを期待してはいけなかった。来場者の平均年齢は高い。
 コローの師であるミシャロンという画家の絵を初めて見る。コローの出発点か。豊かな才能を感じさせるが26歳で早世してしまったという。惜しい画家だ。コローよりも彩度が高くコントラストも大きめ。むしろコローよりも目立つ。しかし、コローはわずかな明度・彩度の差でもグラデーションが表現され、微妙さと繊細さにおいて鑑賞者の眼力を試すようなところがあって、いつまでも飽きないかも知れない。
 ピカソモーリス・ドニ、ドラン、ゴーギャンルノアール、モネから果てはモンドリアンまでがコローの影響を受けているということが分かるような展示で、この展覧会を企画したキュレーターや美術学者の見識の高さに驚く。
 さすがに「真珠の女」には多くの人だかり。根気よく並んで眺める。「モルトフォンテーヌの思い出」にも多くの時間を費やしたが、今回、もっとも素晴らしかったのは最晩年に描かれた「青い服の婦人」。これは複製画では話にならない。赤の再現は非常に難しく、ほどんどの印刷業者が成功に至っていないと言えるのではないかと思うが、コローの青も同様。たとえば、ブリジストン美術館にあるザオ・ウーキーの「07.06.85」の青と同じくらい再現性の困難な色だろう。森田ピアノを録音しようという無駄な試みに近いかも知れない。