タイトル

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 今日の午前中はピアノ技術者のNさんのレッスン。いろいろな曲の調性とピアノの響きを聴き比べる。作曲家によって選択する調性に偏りがあること、逆に共通する調性があることは興味深い。また、音に関してもベートーヴェンショパンドビュッシーチャイコフスキーグリーグはCis/Desの扱いが似ている。ベートーヴェンの弟子であったツェルニーはかなり無頓着であったかも知れない。

 午後はウラノメトリアの曲名のための資料作り。単なる音階練習でも美しい曲として演奏できるように書いたつもりなので、タイトルを与えてステージでも使えるようにするのが狙い。ところがこれがなかなか難しい。作曲する時のインスピレーションと命名のインスピレーションは同じくらい得難いものだ。
 まだ仮題だが、以下のような候補が挙がっている。

48番 夏のおもいで
49番 お砂糖は少しだけ
50番 たんぽぽの野原で
52番 春の朝
53番 春の夜
62番 わくわくする気持ち(わくわくした気分)
64番 ハナミズキの道で
68番 ひつじ雲を見上げて
69番 遠くの風景
70番 楽しい行進曲
72番 ちょっといいことありそう
74番 楠木(くすのき)の登り坂
77番 おじいさんの話
80番 ベルベットのドレスで
81番 泉
82番 青い宝石箱
83番 赤いスカートの踊り
85番 パルナッソス山への行進
87番 ポンコツロボットのダンス

これらは全て新しい名前に変わる可能性もある。


22時15分追記

 京都・森田ピアノ工房の森田裕之さんから、森田さんの手の入ったピアノによるコンサートのDVD3枚が届く。A4枚(11ポイント?)の長文の手紙も一緒。森田さんの苦闘が伝わってくる内容。全文掲載したいところだけれど本人の承諾を取り付けていないので内緒。森田ピアノ工房も当作曲工房も、天動説の時代に地動説を主張しているようなものなのだが、作曲工房がソフトウェアで勝負しているのに対し、森田さんはハードウェアで勝負しなければならないので困難さの質が異なる。森田さんのほうが私よりもずっとすごいことをやっているのに、弾き手がハンマーフェルトを潰しながらガンガン弾いてしまうので、その真意が伝わりにくいということだろう。それに対して、私は最初に森田ピアノの理想的な音を聴かせることができる。私のところに初めてレッスンに来た方が、私の例奏のあとに続いてピアノを弾いて、自分の打鍵音(打撃音)の大きさにのけぞるというのは、いつものことだ。
 京都コンサートホールがD274を10年で買い替えようとしている(弦が切れるようになったから。それに2度もオーバーホールをしてまで使い続けるホールはないという摩訶不思議な理由)話は、なんとも情けない気持ちにさせられるものだった。判断の基準を持たない者には森田さんの言葉も入って行かないのだろう。弦を切りまくる勘違いピアニストが絶滅するには、あと何十年もかかるかも知れない。
 熊谷の音楽スタジオ閉鎖に伴い、森田ピアノ工房がレストアしたB211が650万円で売り出されたという。レストア中のB211を弾かせてもらったことがあり、とてもよいピアノだったので、喉から手が出るほど欲しいが頭金さえ持ち合わせない状況では無理。ずっと前、武満徹さんが何かの賞を受賞されて賞金として100万円を受け取った時の挨拶が印象的だった。「有名な作曲家は金持ちで、100万円なんかたいした金額ではないだろうと思われるかも知れませんが、作曲家の収入は皆さんが思うほどのものではなく、これで娘の大学の学費を払うことができます」というような内容だった。作曲家になって、まさに実感。賞と名のつくものに無縁の私は子どもたちの学費の支払いに四苦八苦している。
 そういえば、昨日、運転免許合宿から次男坊が帰ってきた。彼も来年は社会人だ。これで少しは楽になると思いたいが、娘が浪人生活に入る。