9/11~12

2002

 昨日(9月11日)のウラノメトリア編集会議は、おちゃめさん不在のため“たまりん”さんと2人だけの作業。内容は曲名についてのブレーンストーミング
 もし「エリーゼのために」が「バガテル第5番」というようなタイトルだったらどうだろう。イメージそのものが貧弱になることは確実。タイトルを重要視したのは作曲家ではエリック・サティ、画家ではパウル・クレーだろうか。「おまえが欲しい」というタイトルが「ワルツ第1番」では魅力が半減するのは確実。
 作曲家は同時に詩人でなければならない。ウラノメトリアは「天球図譜」というような意味なので、星空に関する名前を選ぶのも一興だろう。たまりんさんは和名の色見本を持ってきてくれた。色の和名も美しい。第3巻には「萌葱(もえぎ)色のように」という曲がある。
 曲名をつける法則や方針を定めるのも好ましいとは思えない。それぞれがハッとするような目眩く発想で名づけられることが好ましい。
 最初に、出版されている日本人作曲家のピアノ曲集の曲名をチェック。目次で曲名を見ただけで弾きたくなるものと、その逆の例がすぐに見つかった。バルトークのミクロコスモスも発想豊かな命名がなされている。Big Fair「大きな市(いち)」、「波」、「つぶやき」、「竜の踊り」、「バッハをたたえて」、「シューマンをたたえて」、「さすらい」、「つまづき」、「霧の中の旋律」、「バリ島から」、「蝿の日記から」etc.
 当然のことながら二番煎じは避けたいし、奇をてらうのは発想が貧困である証ともなる。ウラノメトリアとしての、静かな主張を盛り込みたい。命名は片手間ではなく、作曲の一部。
 風の地方名、雨、雲の名前など、次々と検索してイメージをさぐること2時間半、ヘトヘトになって会議終了。たまりんさん、お疲れさまでした。

 夜は、引き続きギリシャローマ神話から星空に関連する名前をリストアップ。
 夜半を過ぎてから哲学者の中島義道さんの「私の嫌いな10の人びと」を読む。哲学者にしては評論家のような文章。目次から大見出しだけ抜き出す。

1.笑顔の絶えない人
2.常に感謝の気持ちを忘れない人
3.みんなの喜ぶ顔が見たい人
4.いつも前向きに生きている人
5.自分の仕事に「誇り」を持っている人
6.「けじめ」を大切にする人
7.喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人
8.物事をはっきり言わない人
9.「おれ、バカだから」という人
10.「わが人生に悔いはない」と思っている人

 結論から言うと、思考停止している人ということになるのだろう。興味がある方は、新潮文庫からでているのでどうぞ。

 今日12日の午前中は武道と音楽と自己追及に励むK君。思慮深いとても静かな青年だ。「基本は奥義であり、奥義は基本である」という格言を教えてくれたのも彼で「弟子は師であり、師は弟子である」という格言も彼から。彼の書いてきた新曲を聴かせてもらう。「1小節目に登場する特徴的なフレーズが、その後使われないのは惜しいのではないか」という助言だけで全てが伝わった感触があった。カッコいいなあ、K君。

 午後は雑用をこなしつつ、タイトルの発想という問題を考える。考えるということは「正解への道筋をたどること」であって、迷うことではない。きちんとやろうと思ったら片手間ではできない。詩人として詩が認められるほどの覚悟でやるしかないと思い直す。目に入る全ての言葉が、意味だけではなく、さまざまな品格やイマジネーションを持っているように見えてくる。自分が演奏するプログラムにその言葉があるだけで素晴らしいと感じるような言葉にたどりつくことが目標。100年たってもイメージが変化しない言葉がのぞましい。

 夜遅く、「バイエル☆マニア!」の小池宏史さんから「ソナチネ第9番第2楽章」の演奏データが届く。彼の2回目の挑戦。とてもよい演奏だったので、本人の承諾を得て、さっそくウラノメトリアブログに使わせていただく。9番の第2楽章は90年代に書いたもので、人気曲のひとつ。今はこのような発想はない。第1楽章が「いとーみか!」さん、第2楽章が小池宏史さん、第3楽章が私と、全て演奏者が異なることになってしまった。私が一番ダメ演奏のようだ。気力があるときにリテイクしなければ。ウラノメトリアブログで全楽章を通して聴く時には、第2楽章だけプレイヤーの個別ボリュームを半分くらいに落とすとバランスよく再生される。