9月19日

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 今朝は9時30分の開門に合わせて、カナコちゃんと上野の東京国立博物館に行った。途中、文化会館のあたりでマチルダさんと出会ったらしいのだが、こちらは気づかなかった。
 国立博物館の常設展(平常展という呼び方だったかも)は高校生以下無料であるばかりか、同伴する大人には割引料金が適用されて500円。これだけハイレベルな展示を500円で見られるというのは信じられないコストパフォーマンス。
 授業で使っている歴史資料集と照らし合わせながら展示を見て行く。スタートは火焔土器
「せんせい、これ本物ですか?」
「レプリカの場合には必ず表示があるから、それ以外は全て本物」
 資料集の小さな写真からは想像もできないような迫力にカナコちゃんはびっくりしたことだろう。まるで宇宙服を着ているように見える有名な土偶の前では、かけている部分まで全てが資料集と同じなのでじっくりと見比べる。

http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?&pageId=E16&processId=01&col_id=J38392&img_id=C0043544&ref=&Q1=&Q2=&Q3=&Q4=&Q5=&F1=&F2=

 明日香・奈良時代の展示は国宝が多い。下記リンクの「興福寺金堂鎮壇具(こうふくじこんどうちんだんぐ)」もそのひとつ。

http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?&pageId=E16&processId=01&col_id=E14254X&img_id=C0031183&ref=&Q1=&Q2=&Q3=&Q4=&Q5=&F1=&F2=

 国宝室には「群書治要(ぐんしょちよう)」という古文書があった。
 すべてをゆっくりと見たいのはやまやまだったけれど、正午過ぎには帰宅する計画なので、ペースを上げて進む。国宝の大刀、秀吉から拝領したと伝えられる素晴らしい兜、江戸期の螺鈿細工、どれも自分が作る立場だったらと考えると気が遠くなるような精密さである。
 今日一番の目的は法隆寺宝物館なので、本館を早々に切り上げて博物館敷地の奥に向かう。
 法隆寺館の第2室は照明が暗い。目が慣れるまでは展示品が見えにくいくらい。グリッドに沿って仏像一体ごとの64の展示ケースが列を為す様は不思議な空間。そのほとんどが重文指定を受けている。

http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?&pageId=E16&processId=01&col_id=N183&img_id=C0044795&ref=&Q1=&Q2=&Q3=&Q4=&Q5=&F1=&F2=

 第2室を出て2回に向かう階段にある灌頂幡 (かんじょうばん)も歴史資料集に載っている。しかし、資料集にあるのはレプリカのようだった。第5室の国宝「竜首水瓶(りゅうしゅすいびょう)」も資料集にある。
 脳科学者の茂木健一郎氏が看破したように「現代はスカばかり」の意味をカナコちゃんも徐々に理解しはじめた様子。科学の進歩は必ずしも人を進歩させてきたわけではない。むしろマスプロダクトによる低レベルの品物に囲まれて、それに慣れて暮らすようになったと言っても過言ではないだろう。もちろん、当時の誰もが優れた工芸品に囲まれて暮らしていたわけではない。全身全霊を打ち込む人たちが少なからず存在したということである。私たちはピアノを弾く時でさえ、本当に全身全霊を傾けて取り組んでいるだろうか。
 おいしいもの(実際にはおいしそうに装われたもの)も食べたい、面白い映画(実は決まりきった筋書きの)も観たい、おしゃれな服(単に流行にのっただけの)も着たい、旅行(レディメイドの風景・風物を見るだけの)にも行きたいというような時代感覚から抜け出さないと、歴史を実感することは難しい。
 死が身近にあった(夫婦一組に子どもが7人も8人も生まれた時代でも人口が増えなかったという意味で)時代においては、人生は貴重であったに違いない。武士だけでなく、農民でさえ命を賭して生きなければならない時代もあったのだ。面倒なことを避けたがる現代人たちはもう一度過去を振りかえる必要があることだろう。

 予定どおり、正午過ぎに帰宅。レッスンで私の宿題となったさまざまな疑問・不明点を調べる。最近、答えられない難しい質問が増えている。レッスンにお見えになる皆さんのレベルが上がっているのに私が追いつかない印象。レッスンが進むのだからレベルが上がるのは当然だが、こちらが遅れぎみになるなどもってのほかだ。難問であるほど私にとってもチャンスとしなければならない。
 ウラノメトリアの作業も進める。3・4巻が面白そうだ。早く第2巻を仕上げたい。