加山又造 白い画布

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 午前中はレッスンがなかったので、日本画家 加山又造が1992年、65歳の時に書いた自伝を読んだ。
 彼を知ったのは「黒い薔薇の裸婦」(1976)によってだから、もうずいぶん昔のことになる。
 常々、世の中は知らないことばかりと思っているのだが、加山又造についてさえ、ここまで知らなかったのかと驚くような内容。優れたエッセイストならば数行でエッセンスを伝えることもできるのだろうが、そうはいかない。虚弱児であった幼年時代に形成された人生観には共感できるが、それが彼を形成したわけではないだろう。京都と東京のアカデミズムの習得、一転して小林古径らの大家から学んだ「自由におやりなさい」という真の迷い。広島原爆の目撃。戦後の混乱期。闘病生活。そして大家への道。彼が生きた時代は、短い周期で世の中が変化しており、その変化が人々の人生をも大きく変えた。
 私自身、子ども時代を「高度経済成長期」と言われる急速な社会的変化の中で過ごし、社会人になってからバブル経済期とその崩壊を目の当たりにした。しかし、バブル経済崩壊後は、停滞ぎみで変化の少ない世界になった。もちろん、変化がなかったわけではない。インターネットや携帯電話の普及はヒューマン・リレーションそのものを変えた。インターネットがなかったら、私の門下に加わることのなかった人が大部分であっただろう。
 加山又造が生きた時代は変化の質が異なっていた。死生観が変わるような変化である。しかし、彼には変化と揺るぎないものが同時に存在しており、それが彼の本質だった。
 それらは鋭い観察眼によって得たものだろう。俵屋宗達尾形光琳を見て、あるいはマティスやルソーを見て何を読み取ったかということである。音楽でいうならば、モーツァルトベートーヴェンを聴いて、彼らがどこまで到達していたかを聴き取れるかというようなことである。真似ができれば聴き取れたことになるわけではない。彼らが到達していた根本原理のようなものにどこまで気づけるかが、芸術家の力のひとつだろう。
 
 昨日の夕方は、レッスンに通い始めて半年くらいの小4・小6姉妹。他教室からやってきたので、一から学びなおしているところ。ロールンクやシュッテルンクを習っていないなどというのは序の口で、反復保持音の演奏ルールさえ、一般のピアノ教室ではレッスンを受けない。バイエルの第56番は、50番と並んでバイエル中盤の傑作エチュード。反復保持音の演奏習慣を理解した途端に、この曲しか弾かなくなってしまうくらいハマる名曲である。バイエルを攻撃する人・される人は、このような音楽理解の外で誹謗合戦を繰り返しているのだろう。
 そろそろ作曲工房ににも馴染んできた頃合いなので、昨日は2人に「古代の4大文明」について質問してみた。妹の“さと”ちゃんは完全にアウト。おねえさんの“ゆう”ちゃんはエジプトまで。エジプト、メソポタミア、インダス、黄河文明のうち、メソポタミア文明について話をした。原始時代とは、いわば「人類が野生に近かった」時代で、住居も野生動物の巣に似ている。古代というのは、人が明確に動物と区分できるだけの言語・道具・技術・組織だった社会を手に入れた時代で、エジプトではパンが焼かれたりピラミッドが作られたりしたと説明。メソポタミア文明は、エジプト文明に比べると有名ではないけれども、トランペット・オーボエ・シンバルの原型となった楽器が発明されたこと、小さな都市国家が散在する多言語地域で、軍楽隊が共通の言語となり得たために発達したこと、それから“くさび形”文字や、ギリシャ文字ラテン文字などの原型になったフェニキア文字が生み出されたこと。これらの話は、文明がなぜ生まれたか、あるいはなぜ進歩するか、ということが主題である。結論から言ってしまうと、“気づいた”人がいたからである。原始時代にも気づいた人はいたに違いないが、それを時を超えて伝達する手段を持たなかった。たし算を習って、たし算ができるようになるのは当たり前で、引き算に気づけるようになればすばらしい、ということである。音楽も同じ。演奏するということは“気づき”がなければ意味がない。