10月6日 月曜日

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 長男の風太郎が、森博嗣という作家が書いたという次のような文を持ってきた。

住まいは田舎がいい、森と日溜まりでひと寝入り、飛ぶ鳥、稲と日照り、まだ独りもいいが、家内はいます。

 ひらがなで書くと回文であることがわかる。

すまいはいなかがいいもりとひだまりでひとねいりとぶとりいねとひでりまだひとりもいいがかないはいます

 言葉遊びは、子どもたちが小さい頃から我が家の安上がりなレジャーだった。回文のほかに“繰り返し言葉”(アルミ缶の上にあるミカン)、漢字の読み替え(お食事券→汚職事件)など、いろいろある。タイトルを考えるのも一種の言葉遊びであり、風太郎もアイディアを持ってくる。
 今日も言葉の洪水の中で過ごした。いったい我々はどのくらいの数の言葉を知っているのだろうか。意味はもちろん、定義まで答えられる言葉は少ないが、辞書の言葉の大部分は知っている、少なくとも耳にしたことがあることが分かった。ならば、言葉を知らないからタイトルを思いつかないのではない、ということだ。