義母80歳の誕生日

5472

 新車の販売台数が大きく落ち込んでいるというニュースがあった。アメリカではトヨタニッサンも前年9月期を3割以上も割り込んでいる。そもそも使えるクルマを買い替えるから中古車市場が成り立つわけで、誰もが廃車までクルマを乗っていたのなら起きにくい事態だろう。クルマだけではない。市場の拡大だけが経済発展であり、それに依存する産業構造はおかしい。昭和40年代、各家庭にカラーテレビが普及しはじめた時の価格は、大卒初任給の数カ月分であったという。いま。我々はそのように高価なテレビを買う気になるだろうか。もし、そのような時代が再びやってくれば経済は大きく発展することだろう。ところが、今は買わなければならないものが多すぎて、テレビだけに全てをつぎ込むわけにはいかない。つまり、モノを作っても高く売れない時代なのである。PC-9800の時代、パソコンは100万円近くしたのだ。Macのクアドラも100万円くらいだった。その頃のPC企業は産業界の花形だったに違いない。各家庭にモノが増えすぎた結果、ひとつあたりにかける費用は減り続けてきた。もし、これから本当に豊かな時代というものがやってくるとしたら、人々が本当によいものを、自分がよい状態で管理できるだけしか欲しない世界だろう。そこでは、人の手(精神と技術)がかかった品物には正当な対価が支払われ、そうでないものには安値がつく。地球温暖化も減速することは間違いない。いまや世界はゴミだらけである。
 いま述べたニュースとは関係ないが、今日は大学で経営学を学んでいるほうの“さゆりさん”と「ディドロ効果」について話しあった。私は彼女に比べれば全くの門外漢なので、彼女がこの問題についてさらに詳しくなってフィードバックしてくれたらまさにラッキー。

 今日はカミさんの母親の80歳の誕生日なので、夕方から2人でお祝いに出かけた。いつもなら子どもたち(孫)もついてくるのだが、今日は誰もスケジュールが空いていない。行きのクルマの中では、徳永英明のCDを聴きながら、カミさんの職場の話を聞いた。仕事をするということがどういうことなのか、彼女の論理は明解。
 義母は80歳だが、話していて老人という印象は全くない。それどころか美術や歴史に非常に造詣が深いので、今日は3人で琳派の作家と作品で盛り上がった。会って話すたびに感じることは、彼女が素晴らしいものとそうでないものとをはっきりと区別しており、それは知識ではなく鑑賞眼による判断力なのだろうと思う。私の母親とは異なるタイプなので、いつも驚く。帰りのクルマでは吉田秀和さんの「名曲のたのしみ」を聴く。ここにも鋭い鑑賞眼を持った名人がいた。95歳という高齢であるにもかかわらず、明晰な解説をする。果たして私は、このような老境に達することができるのだろうか。というより、そろそろ人生を急いだほうが良さそうだ。さもないと、いろいろなことが間に合わなくなるだろう。