10月20日(月)

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 作曲工房音楽コラムよりも、ずっと冷静な判断で語るのが森永卓郎氏の経済コラムだ。
 今日の日経BPネットの森永氏のコラムも私たちの判断の基準を育てるために役立つものだろう。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/156/

 いま、政治家に欠落しているのは真実を見つめる目だろう。そういう視点を持たぬ彼らに真の“無駄”など分かろうはずがない。

 もうひとつ、経済コラムで秀逸なのが植草一秀氏のブログである。痴漢事件で表舞台から姿を消して久しいが、策略による冤罪説もあり、彼が本当に痴漢を働いたのかどうかは分からない。そのようなニュース報道からの情報(他者の判断)ではなく、彼の文章をきちんと読んでから植草一秀という人物を判断してほしい。実際、痴漢したかどうかは2の次であって(決して軽んじているわけではなく、最重要ではないという意味)、彼の経済分析は極めて論理的で真実に肉薄しているように思えるのだ。しかし、これは私の判断だから、全ての人が彼の言葉を正しいのか、詭弁であるのか確信できるまで読み込むべきだと思う。重ねがさね断っておくが、痴漢などどうでもよいと言っているのではない。彼が痴漢行為を働いたのだとしたら、それは責められて当然である。しかし、事件そのものが真実であるかどうか分からない。痴漢事件の報道だけで彼の経済分析もダメだとするのは愚かの極みというものだろう。彼のブログもリンクしておく。
 
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/

 かつてスティーブン・ホーキング博士が「私は世界でもっとも有名な科学者のひとりかも知れないが、もっとも理解されていない一人でもある」というような発言をした(もちろんディスプレイ上で)。

 大銀行でさえ、いつ破綻するか分からない状況にある現在、金融破綻によって突然全ての預貯金を失って路頭に迷うのは「風評と真実の区別がつかない(あるいは、つけようとしない)」人々なのではないだろうか。