10月22日 リトルフを聴いて

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 イギリス生まれでフランスで活躍した作曲家、アンリ・シャルル・リトルフという未知の作曲家の「交響的協奏曲第4番 ニ短調 作品102」から 第2楽章「スケルツォ」をFM番組で聴いた。これはピアノ協奏曲だが、リトルフは交響的協奏曲と呼んだということだ。大変な難曲で、これを演奏したピアニストの技量は大したものである。しかしながら、これこそまさにショパンの指摘する「新種のアクロバット」だった。指揮のネヴィル・マリナー音楽史的資料として録音したのかもしれないが、人ひとりの短い人生の間に勉強しなくてはならない曲とは思えなかった。
 日本には(ひょっとしたら20世紀後半以降の世界中でも)未だショパンドビュッシーに相当する「人間とピアノ鍵盤と音楽」が高いレベルで融和・成立している作曲家が現れていない可能性がある。難曲を書く作曲家には事欠かない。また、ピアニスティックな楽曲を書ける作曲家も少数ながら存在する。しかし、それらが高いレベルで見事に成り立っているとなると、私の不勉強のせいかもしれないが、未だ出会っていない。
 難しさというのは、音楽的な喜びとともにあって初めて意味を為す。それをショパンは「巨匠の難しさ」と表現した。それをそっくり裏返すと、技術だけで弾いているピアニストは「バイエルが表現できない」ことになるのではないか。