11月4日(火)

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 どのメディアでも「小室哲哉氏逮捕へ」というニュースで持ちきりである。
 高額所得者となった小室氏に必要だったのは彼のいいなりになる伴侶ではなくて、彼を守り、戒める真の友人、あるいは師だった。小室氏の周囲には、彼にお金を使わせようとする取り巻きが集まったはずで、そういうことに無警戒、あるいは警戒心の低かった彼は、うまく立ち回れなかったのかも知れないと推測してしまう。もちろん、今回の逮捕の原因は彼にあり、致し方ないのだが、高い才能を持つ人物だけに、この顛末は残念だ。
 もう何年も前になるが、アメリカで調査された高額宝くじ当選者の追跡調査の結果をコラムに書いたことがある。宝くじにあたると、お金の使い方を覚える。当然、生活水準も上がるわけだが、当選金はいつか底が尽きる。お金の使い方は覚えたものの、稼ぎ方のほうは身につかないために、かなりの高率で破産者が出るというものだった。それを加速するのが、一度身についた生活水準を落とせないという人間の習性のようだった。
 小室氏は、稼ぐ能力が高かったにもかかわらず、それ以上に使ってしまったということだろう。それも、本人にとっては不本意な使い方だったかも知れない。

 私も相当浮世離れしているのではないかと不安なのだが、土肥先生との出会いという幸運があったために何とかやってくることができた。土肥先生は、私に多くの重要な言葉を残してくださった。「墓参よりも思い出してもらえるほうが価値がある」という言葉からは、財産は人ということを学んだ。後に、アメリカ先住民の「人は身体が滅びても死んだわけではない。人々の記憶から消えた時が本当の死」という言葉を知った時に、ようやく実感として本当に理解できた。
 だから、私は物へのこだわりが少ない。よいピアノと五線紙、ツールとしてのPC、情報源としての図書館があれば、かなり充実した人生が送れるのではないかと思っている。むしろ、それ以外のモノは妨げとして働くかも知れない。
 やはり、物よりはるかに重要なのは、お互いを必要としあう人間関係なのではないか。
 地球に残された資源(とくに重要なのは森林などの動植物資源)を考えると、未来が今より豊かになるとは考えにくい。クルマや都市がどんなに作られても真の豊かさはやってこないが、豊かな自然と安全な水が豊富にあれば、人類は真の意味での豊かさを得ることができるだろう。しかし、現在の経済活動は間逆の方向に向かって進んでおり、必要のないモノ作りが、偽の経済を支えているように見えてしかたがない。不要な“モノ”に振り回されなければ、破産者も減ることだろう。